日本では、かつて数多くの城が存在していました。しかし、建築された当時の天守がそのままの姿で残されているものは全国にわずか12城しかありません。そのほとんどは姿を消し、現在見ることができるのは新たに建設・復元されたものです。
そんな現存天守は、長い歴史を積み重ねながら、今なお日本人の心に響く美しい姿を保ち続けています。
今回は、愛媛県宇和島市にある宇和島城(うわじまじょう)をご紹介します。

藤堂高虎によって築城

宇和島城天守

今治城、篠山城、津城、伊賀上野城、膳所城、二条城などを手掛け、さらに江戸城改築にも携わり、築城名人として知られる藤堂高虎(とうどうたかとら)が、鎌倉時代に築かれた板島丸串城を改修して造り上げたのが宇和島城です。現在は埋め立てられていますが、かつて城の北と西側が宇和海に面しており、複雑に入り組んだリアス式海岸の最深部に位置した標高80mほどの山上に本丸が築かれています。

1601(慶長6)年に完成後、高虎は今治に移ってしまいましたが、その後、伊達氏が入城して1671(寛文11)年に2代藩主・宗利(むねとし)のときに大改修が行われ、現在見ることができる天守はこのときのものです。

天守2階の武者走り
天守武者窓

伊達宗利によって改修された天守

高虎が築いた天守は望楼型(ぼうろうがた)でしたが、伊達宗利によって改修された天守は層塔型(そうとうがた)となっています。すでに太平の世となった時代に改築が行われたため、唐破風造りの玄関や幾重にも重なる破風を用いた3重3階の天守は、装飾性の高い華麗な外観となっています。

また、城の特徴として語られるのは、外観からは四角形に見える外周部。当時、直線の堀で囲まれた外周部は、実際には五角形となっていますが、四角形にしか見えない構造となっており、幕府の隠密も見誤っていたと伝えられています。

現在、天守の他に建造当時の形を残しているのは上り立ち門と石垣のみですが、宇和島藩の武器庫として建てられたものを移築した城山郷土館などが整備され、城郭は「城山公園」として市民の憩いの場となっています。

上り立ち門
井戸丸に残る石垣と石段
櫛形門跡

宇和島城

別名:鶴島城

築城年:慶長6(1601)年

築城者:藤堂高虎(とうどうたかとら)

種類:平山城

主な遺構:天守、門、石垣

問い合わせ:宇和島市文化・スポーツ課☎0895・49・7033

所在地:愛媛県宇和島市丸之内1番地

アクセス:JR宇和島駅からバス約3分
http://www.city.uwajima.ehime.jp/site/uwajima-jo