漁師が植える森として全国的に知られるようになったのが、三陸海岸・気仙沼の背後にそびえる室根山での植林活動です。「森は海の恋人」を合い言葉に、この活動を推し進めてきたのが、長年、気仙沼湾でカキの養殖に携わってきた畠山重篤さんです。

カキの不漁が教えてくれた海と山と川の結び付き

NPO法人・森は海の恋人の代表を務める畠山重篤さんは、地元の気仙沼水産高校を卒業すると、すぐに家業のカキ・ホタテ養殖業の仕事に就きました。当時、気仙沼の海は今よりもさらに美しく、カキやホタテは何の苦労もなく、順調に育ってくれたそうです。

そんな気仙沼の海に畠山さんが異変を感じるようになったのは、それから数年後、昭和40年代になってからだといいます。稚貝が成長せずに死滅してしまったり、副業で養殖していた海苔が一晩で消えてしまったり、さらには赤潮の発生により白いはずのカキの身が赤くなり、出荷できなくなってしまったこともあったそうです。

「1粒のカキは1日に約200リットル、ドラム缶1本分の海水を吸ったり、吐いたりしているんですよ。それで呼吸をし、海水中のプランクトンを食べているわけです。ただし、カキには海の水を選別することはできません。プロロセントラルミカンスという赤潮プランクトンを吸い込んで、身が真っ赤になったカキは、〝血ガキ〞と呼ばれ、売り物にならなくなってしまったんですよ」

このとき畠山さんは、原因は目の前の広い海ではなく、人の暮らすオカ(陸)側にあるとすぐに思い当たったといいます。

山奥の源流域にある森こそが海を美しく保ち豊かな漁場を育くむのです。

当時、高度経済成長の真っ只中にあった日本では、工場や家庭からの排水基準も現在ほど厳しいものではなく、田畑での農薬の使用にもほとんど制限がありませんでした。そして、もう一つ気になっていたのは川のこと。雨が降るたびに水が濁り、海に泥や砂を流し込むようになっていたからです

古くから日本の漁師は海の近くの森や林を大切に守ってきました。木を切ってしまうと魚が寄りつかなくなることを経験的に知っていたのです。海岸線や湾内の島に生えている木々を彼らは「魚付林」と呼んでいましたが、こうした森や林は「魚つき保安林」として、現在でも法律できちんと保護されているのです。

ただし、カキ養殖に従事する畠山さんが注目したのは、海の近くばかりではありませんでした。もっと山奥の源流域にある森こそが、海を美しく保ち、豊かな漁場を育んでいることに気付いたのです。

「私は若い頃から日本中であちこちのカキ産地を見てきましたが、そこはどこも大量の川の水が流れ込む汽水域でした。日本最大のカキ産地は広島湾の太田川河口。宮城の石巻湾には北上川という大河が流れ込んでいます。それを考えれば、山から流れてくる川の水がカキの生育にどれほど大切なものか誰にも分かるでしょう」

気仙沼に注ぐ大川の源流域に落葉広葉樹の森を作る。

毎年6月の第一日曜日、気仙沼市のお隣、岩手県一関市にそびえる室根山の山頂近くにはたくさんの大漁旗が翻ります。山奥に大漁旗というこの不思議な光景は、「森は海の恋人」が平成元年から行っている植樹祭。気仙沼湾に注ぐ大川の源流域の一つ、室根山にブナやミズナラ、クヌギやクマノミズキなど、落葉広葉樹の苗を植える活動です。

「戦後、日本の家庭では薪や炭を燃料に使わなくなりました。そのため、大切にされてきた里山の雑木林は役に立たないものとされ、次々とスギやヒノキの針葉樹に植え替えられていったのです。ところが、植林された針葉樹林にはきちんとした手入れが必要。これを怠ると、たちまち山全体が荒廃してしまうんですよ。

殻の中には真っ白なプリプリした身が詰まっています

気仙沼のカキ養殖に限らず、海の生き物にとって川から流れ込む植物プランクトンやミネラル、鉄分などは欠かせないもの。山が荒れると海まで活力を失ってしまうんです。カキもワカメもカツオも……、みんな森の恵みなんですよ」

畠山さんら気仙沼の漁師たちが中心となって始めたユニークな植林活動は、小・中学校の教科書でも取り上げられ、やがて全国的な運動として広まっていくことになります。このとき畠山さんが実感したのは、海と山のつながりをより多くの人に知ってもらうことの重要さでした。「牡蠣の森を慕う会」という名前で始めた活動を「森は海の恋人」という、畠山さん本人いわく「おしょしい(気恥ずかしい、照れ臭い)」名前に変えたのもそのためだそうです。

「細長い日本列島には一級河川だけでも1万以上、その他の小さなものまで含めると約3万5千もの河川が流れています。この網の目のように張り巡らされた川の流れによって、海と山、海と森はしっかりと結び付いているわけです」

川の水が流れ込み、目の前に浮かぶ大島のかげで波も穏やかな気仙沼湾は、カキの養殖には格好の地だといいます。

森が元気なら、海はすぐに蘇ります。

こうした森・里・海のつながりを知ってもらうため、NPO法人「森は海の恋人」では植林活動の他、講演会やシンポジウム、里山の整備や自然体験プログラムの実施など、さまざまな活動に取り組んでいます。

その一つが大川流域の暮らす子どもたちを招いての体験学習。良い環境を作っていくには、その地域を流れる川の流域全ての人々の意識を変えることが重要だと畠山さんは考えているからです。この他、京都大学フィールド科学教育研究センターなどと共同で舞根森里海研究所という組織の運営もスタート。地元・舞根地区の研究・教育活動にも積極的に取り組んでいます。

2011年の東日本大震災で畠山さんは全ての養殖筏を失ってしまいました。がれきで埋め尽くされた海を目にした時、仕事も、NPOの活動も、それまでの努力がなにもかも水泡に帰してしまったと感じたそうです。ところが、海は間もなくきれいになり、畠山さんもすぐにやる気を取り戻すことができたといいます。

「森が元気なら、海はすぐに蘇ります。そして、3万5千ある日本の川が河口から中流、上流、源流までちゃんとしていれば、なにがあってもニッポンは大丈夫なんですよ!」

豪快に笑いながら、畠山さんはこう話していました。

NPO法人・森は海の恋人

〒988-0582 宮城県気仙沼市唐桑町東舞根212
http://www.mori-umi.org

NPO法人 森は海の恋人は、環境教育・森づくり・自然環境保全の3分野を主な活動分野ととする特定非営利活動法人です。さまざまな環境問題が深刻になりつつある現在、自然環境を良好な状態にできるか否かは、そこに生活する人々の意識にかかっています。

私たちは、普段の生活でほとんど省みられることのない自然の雄大な循環・繋がりに焦点を当てた事業を展開し、森にあって海を、海にあって森を、そして家庭にあって生きとし生けるものすべての幸せを思える人材を社会に提供しつづけていきたいと思います。

*なお、2019年から新たに「森へ入ろう。」という事業を開始いたしました。
植林した苗木は約30年の時を経て豊かな森へと成長しています。
実験的に、過去に植樹した森の一部を伐採し、林床に光を入れて森の中に多様な生物の育成空間を作っていく事業になります。
申込型で年間2回の活動を予定しており、本年は10月に第2回目を実施する予定です。伐採した木は、子どもたちの環境教育時に使用する薪になります。
(コスモ石油エコカード基金助成事業)

文: 佐々木 節 Takashi Sasaki

編集事務所スタジオF代表。『絶景ドライブ(学研プラス)』、『大人のバイク旅(八重洲出版)』を始めとする旅ムック・シリーズを手がけてきた。おもな著書に『日本の街道を旅する(学研)』 『2時間でわかる旅のモンゴル学(立風書房)』などがある。

写真: 平島 格 Kaku Hirashima

日本大学芸術学部写真学科卒業後、雑誌制作会社を経てフリーランスのフォトグラファーとなる。二輪専門誌/自動車専門誌などを中心に各種媒体で活動中しており、日本各地を巡りながら絶景、名湯・秘湯、その土地に根ざした食文化を精力的に撮り続けている。