作家・塩野米松(しおの・よねまつ)

1947年生まれ。秋田県出身。東京理科大学理学部応用化学科卒業。作家。アウトドア、職人技のフィールドワークを行う。一方で文芸作家としても4度の芥川賞候補となる。絵本の創作も行い、『なつのいけ』で日本絵本大賞を受賞。2009年公開の映画『クヌート』の構成を担当。聞き書きの名手であり、失われ行く伝統文化・技術の記録に精力的に取り組んでいる。主な著書『木のいのち木のこころ』(新潮社)、『失われた手仕事の思想』(中央公論社)、『手業に学べ』(筑摩書房)、『大黒柱に刻まれた家族の百年』(草思社)、『最後の職人伝』(平凡社)、『木の教え』(草思社)など多数。

 

消えた手仕事

たくさんの手仕事が消えてしまった。こんなふうに嘆き始めてもう100年は経つ。明治に入り、富国強兵が唱えられて、時代は急速に工業化に向かって走り始めた。義務教育や徴兵制が制定され、機関車が走り、船が荷物を積んで行き来した。効率こそが利益を生むことに気が付いたのだ。

そうした風潮についていけない人たちは江戸の生活を懐かしんだ。金を稼いで忙しい生活を送るより、のんびりと、楽しい暮らしが好ましいと。道具は手に馴染んだ、身の丈に合った、好みの物を使いたい。そんな人はどの時代にもいるものだ。

金を稼ぐために、若い時代を遮二無二働くのも、目的は好みの生活を送るためだ。道のりが少しばかり違っているだけである。ただ、主流は圧倒的に新しく、便利な、文明的生活を望んだ。その中で、手仕事は忘れられ、消えていった。

英国でも同じだった

手仕事が消えたのはこの国だけではない。伝統を大事にする英国でも同じだった。私が聞き書きの仕事で英国に行ったときに、博物館の学芸員に手仕事の職人を捜したいと言ったら、「ご存知のように我が国では産業革命が早かった。あの時期に多くの手仕事は消えてしまった。それからもう250年余。むしろ日本の方がしっかり残し、受け継いでいるんじゃないですか。どうやって残しているのか、私たちこそお聞きしたい」と言われた。

歴史の古い中国でも、後から追いかけてきたインドや東南アジアの国々も、近代化の波は手仕事を追い出し、大量生産、大量消費に大きく舵を切ってしまった。手仕事を消したのは、国家でもなく、優勢な外国勢でもなかった。便利さと安さを求めた私たち消費者なのである。それはどこの国も一緒である。

鍛冶屋は使う人を知っていた

プラスチックの笊が出たとき、陰干ししなければならない竹の笊を捨てて、派手な色の品を買い求めた。それは安くて、手入れ要らずで、あきたら捨ててしまえばよかった。こうして、修理をして使う習慣が消えた。笊を作る竹細工の職人は、作るだけではなく、メンテナンスも行っていた。彼らに「もう要らない」と消費者は言ったのだ。こうして竹の笊や籠が消えていった。

同じことは鍬や鎌などの道具でも起きた。こうした道具は、土壌に合わせて作ったから、地方ごとに形も長さも違っていた。その上、使い手は、それぞれ癖がある。だから、自分に合わせて野鍛冶に打ってもらった。道具はみな違っていたのだ。鍛冶屋は使う人を知っていた。その人の畑がどこにあるかも。互いが近くに住み、ながい付き合いがあたからだ。知り合い同士では手を抜けない。使い勝手が良く、丈夫な物を作って始めて注文がくる。精一杯の仕事をして評価してもらうしかないのだ。

<桶屋> 森義利「職人づくし」より

道具は作り手と使い手が育てる

鍛冶屋は、親方の元で修業したが、細かなことは使い手が教えてくれた。道具は作り手と使い手が育てるものだったのだ。そうしてこそ作業は楽になり、働くことに楽しみが増える。しかし、いい道具は消えていく運命にある。使いやすいからよく使い、使えば刃が減る。鍬などの道具は、刃が減れば、鍛冶屋がサイガケといって減った鋼分を足してくれた。そうして使い続けた。今では工場から出てきた安い鍬が量販店に並んでいる。農作業は機械化が進んだから手道具の出番は少なくなった。畑には合わないが、安いから使ってみようと、それを買う。体や使い道に合わないが使えないことはない。我慢さえすればいい。こうして鍛冶屋は注文がなくなり消えていった。私たちは道具に合わせて仕事をするしかなくなった。

鍛冶屋が消えれば、道具の作り手がいなくなる。手仕事は自然素材と手道具から生まれる。仕事がなければ、職人は育たない。親方は仕事の中で弟子を育てた。技は人の体に付くものである。データや映像にして受け継がれていくのではない。長い時間をかけて、体に覚えさせ、手に記憶させ、その中で感覚を磨いていくものなのだ。

手仕事を失った最大の理由は

手仕事を失った最大の理由は、便利さの追求である。使い勝手より安値を選んだのである。便利さを追うことは決して悪いことではない。そこでは新しい工夫が生み出されたし、たくさんの試行錯誤があったのだ。ただ、そこには効率第一主義があった。安価は大量生産からしか生まれない。それは大量消費に支えられている。消費の美徳と使い捨ての思想が生み出された。大きな価値観の転換であった。使い捨ての思想は、物だけでは終わらない。必ず人に及び、心に至る。人の心に荒廃がしのび込んできた。

そのことにみんな気が付き始めた。急ぐのをやめよう。もっとゆっくり、自分の時間を持ってもいいんじゃないか。そう言って立ち止まったときに、手仕事の温かさや美しさを思い出した。人は迷い、新たな道を模索するときに、過去を振り返る。そこには人が物を手で作っていた時代の暮らしがある。自然素材を活かし、それを育んできた風土に感謝する人々が居たことを。まだ捜せば、この国には手作りを生業にする人たちが残っている。明日の暮らしを模索するとき、手仕事はさまざまなことを教えてくれる。時代が進んでも、心の安らぎというのはそう変わらないものなのだ。