2 0 年に1 度、御正殿や別宮の建物などを全て一新し、神様にお遷りいただく伊勢神宮最大のお祭り・式年遷宮。宮大工として3 度の式年遷宮に携わった宮間さんにお話をお伺いしました。

伊勢神宮の宮大工に応募、腕を認められ、神宮造営部に所属

三重県伊勢市に住む宮間熊男さんは、80歳を越えているが、そのうちの、実に49年を伊勢神宮と共に歩みました。

「もともとは、普通の家を建てる大工の師匠に弟子入りしていたんです。でも、昭和28(1953)年の第59回式年遷宮のとき叔父に〝伊勢神宮で宮大工の若手を募集している〞と言われ応募したのがきっかけでした」

伊勢神宮の式年遷宮では、そのときのためだけに毎回精鋭の宮大工たちによるチームが作られます。県内を中心に他県からも技術ある者が集まり、およそ8年も前から次の御造営準備に取り掛かっているのだとか。

多くは式年遷宮を終えると去りますが、腕を見込まれた若い大工の中には、神宮の造営部という伊勢神宮専属の宮大工として残る者もいるそう。当時20歳そこそこだった宮間さんにも、次代を担う宮大工として造営部に残るよう、声が掛かりました。

伊勢神宮・内宮へと続く宇治橋の袂で。御造営時は毎日自宅から通っていたといいます

摂社・末社 (*注1)で腕を磨き、第60回式年遷宮では外宮の棟梁に

1度目の式年遷宮を終えて神宮造営部に残った宮間さん。町大工とは道具も建築技術も違い、最初は先輩たちの技を盗みながら、必死に仕事を覚えたといいます。

「神社の柱は丸いでしょう。だから、丸鉋もいろいろな径のものが必要なんです。柱には一般の家庭では使わないような、樹齢数百年の木も使いますから、ノミだって極大のものから小さなものまで何種類もいる。道具は、刃だけ買って自分で作りました。先輩たちが使っているのを見ながら、仕事の休憩時間なんかに、手元でいつもなにか作っていました」

式年遷宮と式年遷宮の間も、造営部の宮大工たちは伊勢市内に100社以上もある摂社・末社を回って建替えや修繕をし、腕を磨くそう。

「伊勢神宮の摂社・末社は、鳥居や御正殿などの形が伊勢神宮と同じなんです。次の式年遷宮までの約10年間、これらの社を造りながら腕を磨くわけですね。私は恐らく、ほぼ全ての摂社・末社に携わりました」

まさに、伊勢神宮専属の技術集団です。第60回式年遷宮で、宮間さんは外宮班の棟梁となりました。

※1 摂社・末社=本宮の他に、その神社の管轄となって境内や近隣に点在する小さな神社の総称。

宮大工時代に宮間さんが使っていた道具。丸鉋やノミなどは、10種類以上の大きさを使い分けていた。ほとんどが宮間さんの手作り

神様の住まいとなる材の加工は最も気を使う工程の1つ

伊勢神宮を宮間さんと歩くと、これまで知らなかった事実を幾つも教えてもらえます。例えば鳥居や建物の木が普通の木よりも白いこと。

「神様の御殿だから白い方がいいというので、木曾ヒノキの中でもより白い木を選びます。昔は総棟梁が山へ行って、〝この木は御正殿に、これは別宮の何々に〞とその場で使う先を決めていたそうですよ」

1度の式年遷宮には1万1000本もの材が必要だといいます。集められた木は、外皮を厚く剥き、芯の「赤身」部分だけを使用。乾燥させてから決まった太さ、形に加工するのですが、乾燥一つとっても、太いものなら5〜6年はかかるそう。

「あと、私たちの仕事は刃物を使うでしょう。でも、万が一材木に血が付いたら大変だし、若いうちは手の脂が付いて指紋が浮くこともある。そういう人は、手桶を脇に置いて、合間に何度も手を洗うんです」

伊勢神宮は、装飾のほとんどない、無垢な素木造り。だからこそ、美しく仕上げるための気配りは計り知れません。また、宇治橋の鳥居の前では、こんなことも教えてくれました。「宇治橋の両端の鳥居は、前回の式年遷宮の御正殿で、棟持柱に使った材なんですよ。この多角形の埋めた跡は、節や割れを直した跡です」

普段、見ることさえできない御正殿の柱が意外な場所で新たな命を吹き込まれていました。今ある鳥居は第61回の式年遷宮、つまり宮間さんが総棟梁を務めたときのものです。

よく見れば、滑らかな表面に確かに細かな修復跡があり、1本の木を美しい円柱にするために施された神の匠たちの技に驚かされました。

内宮の御正殿へと続く石段。鳥居の向こうに外玉垣南御門(とのたまがきみなみごもん)が見える。御正殿は五重の垣根のさらに奥に佇む。

若手から棟梁へ。心に湧き上がる信心と感謝が神の御所を造る

式年遷宮に、3回携わった宮間さん。回数を重ねる中で、心境にも変化はあったのでしょうか。

「伊勢神宮の宮大工には、神宮大工の心得というのがあるんです。『神を崇めずして御造営を口にすべからず』という。若い頃はピンと来ていなかったから、朝、風呂で穢れを落とすにしても雀の水浴びみたいでしたよ(笑)。それが長く関わるうちに、自然と信心や神様への感謝が生まれました。無事に仕事をして生活できるのは神様のお陰だなあと。最後は総棟梁を務め、御正殿の上棟祭の音頭も取らせていただきました。宮大工冥利に尽きる瞬間でしたね」

千年以上も連綿と続く、数年越しの準備を要する儀式。そこには、技術以上に、神社に関わる人々の純粋な信心があったのでしょう。

(左)内宮御正殿の御造営風景。手前と奥に見える太い柱が棟持柱=むなもちばしら(唯一神明造で、棟木を支えるために建物の外に独立して立てる柱) 
(右)唯一神明造りの特徴の1つである棟持柱。棟木と柱の間に隙間があるのは、
時を経て木の伸縮や屋根の重みで棟木が下がって来たときに支えられるよう計算したもの

撮影協力
伊勢神宮 三重県伊勢市宇治館町1(内宮)

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