日用品のほとんどが工場などで大量生産される現在、昔ながらの手作りの品に大きな魅力を感じる人も少なくないでしょう。昔はどの家にも必ずあった木製の桶もそんな道具のひとつ。プラスチック製品にはない独特な手触りや風合い、使い勝手の良さには、長年にわたり職人が培ってきた技の数々が込められています。
文 : 佐々木 節 Takashi Sasaki / 写真 : 平島 格 Kaku Hirashima
道具になっても生き続けている木の桶。 だからこそ、ごはんも味噌もおいしくなる。
昔は生活必需品だった桶や樽。
かつての熊野古道・中辺路、現在の国道311号沿いに、昔ながらの桶屋が店を構えています。ただし店とはいっても、民家の一角に作業場があり、玄関脇の客間に売り物の桶や樽が並べられているにすぎません。看板代わりの大きな味噌樽の下に掲げられた「おけ屋」の文字に気付かなければ、たいていの人はそのまま通り過ぎてしまうでしょう。
「味噌や漬け物を作る時は、やっぱり木の樽が一番なんですよ。プラスチックや陶器だと、水が滲み出てビシャビシャになってしまう。ところが木は息をしているから水が溜まらず、いい味に仕上がるんです」 やさしい笑みを浮かべながら、こんな話を聞かせてくれたのは桶濱のご主人、松本濱次さんでした。
昭和9年生まれの松本さんが田辺の桶職人に弟子入りしたのは、終戦から数年たった頃のことでした。それはプラスチック製品などない時代で、木の桶や樽は純粋な生活必需品。職人として独立した時、一番の取引先となったのは大阪の大きな味噌製造会社で、1㎏の味噌が入る小さな樽を毎日、数え切れないほど作っていたそうです。
ところが、日本が高度成長期に入り、安価なプラスチック製品が登場すると、桶職人の仕事は激減し、松本さんも一時は桶屋の仕事を中断することになります。
その後、母の面倒を見るため実家へ戻ったのを機に桶づくりを再開し、以来、一般家庭向けのさまざまな桶や樽をこつこつと作り続けてきました。
柾目と板目、素材の木を使い分ける。
一般的には蓋のないのが桶、それに蓋が付くと樽と分類することが多いようですが、松本さんの場合、蓋の有無に関係なく、使い方で桶と樽を区別するといいます。
すなわち、内容物を頻繁に出し入れするものが桶、液体などを長期間保存するための容器が樽。その違いは外枠に用いる側板の木目にありました。
上の写真で示すように、板は丸太から切り出す部位によって大きく柾目(まさめ)と板目(いため)に分かれます。
桶に用いる柾目は水分を吸収し、放出する量が大きく、おひつなどに最適。洗って、陰干しすれば、すぐに乾くという利点もあります。一方、板目は水を通しにくいので酒樽や味噌樽に向いています。しかも、いったん水分を内部に吸い込んだ板目は膨張するので、液体容器としての機密性はさらに高まるのです。
われわれ素人は、くっきりと浮かび上がる木目の美しさに見とれるだけですが、職人は木が本来もっている特性をしっかりと使い分けていたのです。
正しく使えば、桶は一生もつという。
最後に桶を組み上げる時、松本さんは仮止めに米を溶いた糊を使いますが、それは接着剤として働いているわけではありません。正確に角付けされた側板がきれいな円を描き、それを竹の“たが”で締め、底板をはめ込んでいるだけなのです。
松本さんの元には、時折、古くなって壊れてしまった桶も持ち込まれますが、たいていは側板も底板もそのまま、たがを打ち直すだけで元通りになるそうです。
「使い方さえ間違えなければ、桶は一生もん」と松本さんは誇らしげに語っていました。
小はお酒のぐい飲みから、大は風呂桶まで、注文があれば何でも作るという松本さんですが、最近、とても人気が高いのはおひつだといいます。
愛用者の話によると、木桶のおひつは熊野杉ならではの香りがいいだけでなく、余分な水分を吸い取ってくれるので、炊きたてのごはんがより一層おいしくなるのだといいます。また、ごはんが乾いてくると、今度は木が水分を補ってくれるため、半日ほど経っても米粒ひとつひとつがふっくらしているそうです。
松本さんが作りだす桶や樽は、ある意味、道具となった後も木として生き続けているのでしょう。
桶濱(おけはま)
住所:和歌山県田辺市中辺路町野中1253
Tel:0739-65-0561
営業時間:8時~18時 定休日:不定
アクセス:
紀勢自動車道・上冨田ICから国道311号などで約30㎞/1時間。
JR紀勢本線・紀伊田辺駅から龍神バス(熊野本宮線)で約1時間30分、バス停「国道笠松」から徒歩5分ほど。