ハンゾウとは蕎麦などを捏ねる捏ね鉢のことである。
米が高かった時代、ハンゾウの値段は、それに入るだけのお米だった。
昔の手仕事はほんとうに手間賃稼ぎだったと言える。

日本の職人達は巧みに斧を使った

スタジオジブリの映画「かぐや姫の物語」のなかに木地師(きじし)という仕事が出てくる。かぐや姫の幼なじみの少年の家族がその仕事の人達だ。木からお椀わんを作る仕事をしていた。映画の中では、伐きり倒した一本の木から、いくつものお椀が伏せた形のまま彫り出されていた。道具は斧(おの)だ。それを振り上げ、正確に打ち下ろす。あのシーンは本物である。会津の奥地にいた最後の木地師の仕事を記録したフィルムが残っていて、それを忠実に再現してあった。

日本の職人達は実に巧みに斧を使った。斧というのは基本的に振り下ろして使う。そのたびに力を入れていては疲れるので、斧の重さと振り上げたい「位置エネルギー」を「運動エネルギー」に変えることで効率を上げるのだ。斧は重い物だ。なのに細かなところも大胆に斧を振り下ろす。精緻せいちなコントロールと刃先がぶれぬ技がいる。熟練した体を作り上げることでそれは成り立つ。

何も塗らずに木地のまま

奧会津の檜枝岐村(ひのえまたむら)にハンゾウ(捏ね鉢)を作る人達がいた。ハンゾウは蕎麦そばを捏ねたり、最近では寿司飯めしを混ぜる時にも使われている。通常家庭で使うのは直径が1尺2寸(約36cm)ほどのものだ。この地区は標高800mほどの髙地にあり、米はできず、蕎麦を主食にしたという。蕎麦を捏ね、葉物などを混ぜ、湯がいたり、汁に入れて食べた。そのためにどこの家にもハンゾウはあった。今はこの地区の民宿に泊まれば、必ず手打ちの蕎麦を出してくれる。

蕎麦の捏ね鉢には、中が漆塗りになった豪華な物や、拭き漆*で仕上げた物などさまざまあるが、この地域のハンゾウは何も塗らずに木地のままである。またある程度の重さがないと安定しないから肉厚に作られている。内側にさざ波のような小さな刃物の跡が付いている。この刃物の跡は「手振(てぶり)」という小型の斧で付けていく。柄が短く頭の重い金槌かなづちの釘抜きの部分を小型の鍬くわのようにした道具だ。この鱗のような小さな凹凸が捏ねた蕎麦を剥がすのに役立ったのだ。

*拭き漆:木地に透けた生漆を塗っては布で拭き取る、木目を生かして仕上げる技法

まず木を選ぶところから始まる

檜枝岐村のハンゾウは栃の木で作る。丸い大きな器であるから大きな木を玉切りにして真ん中を彫れば簡単にできそうにい思えるが、それではできあがった後に割れが入る。木の年輪の真ん中辺は割れやすいので、彫り物にも船作りの板の場合も建材にも芯を外して使う。木には中心部の色の濃い赤みと樹皮に近い色の白い「シロタ」と呼ばれる部分がある。ハンゾウはこのシロタの部分を使う。

木工の作業はまずは木を選ぶところから始まる。外からは見えない節や腐くされ、割れなどがないかを見極めねばならない。最後の仕上げでそういう物が出てきたら捨てねばならないからだ。次は買った木からどういうふうに使える部分を取るか、決めねばならない。これを「木取り」という。木の質を読み、木目の美しさ、作業のしやすさを考え、できるだけ合理的に、無駄なく取れるようにする。

常に新しい道具に気を配る

ハンゾウの場合は意外に思われるかもしれないが、シロタから縦に木取りする。樹皮側が器の底になる。おおざっぱに印を付け、チェンソーで切り分け、おおよそハンゾウの形を作る。内側をえぐり取らなければならないから、それもチェーンソーで縦横に切れ目を入れて、手斧で削っていく。チェーンソーは木を伐る役目が主だが、縦に刃先を入れて鑿のみのようにも使える。

下仕事や荒取りなどは手仕事の職人達も電動工具を使うようになった。手間を省くのにチェーンソーはおおいに役立つ。手仕事では1個作るのに1日半掛かった仕事が、1日で2個は作れるようになった。職人達は常に新しい道具に気を配り、仕事に合えば果敢に挑戦してきた。教わった方法のみを守っていては後れをとる。

ハンゾウの値段はそこに入る米と同じ

捏ね鉢の形がおおまかにできれば、外側は手斧で削って仕上げ、中側は「手振り」で一目ずつ丹念に刃の跡を内側全面に付けていく。それが美を生む。

よく研がれた刃先を内側に削るように振り下ろす。1ミリの狂いもなく見事に一個ずつ魚の鱗のように紋様ができ、なめらなか曲線が作り上げられていく。この曲面が捏ねるときのしやすさを決めるのだ。

この作業には木地が動けば、刃物が跳ねて自らに刃先が飛んでくる時もある。木地を固定した作業台は、地上に出ているのは5cmほどだが、地中には1mほど埋まってびくともしないように据すえられている。材は腐らず硬いナラの木だ。

かつては運送手段が人力だけであったため、ハンゾウ作りは山に小屋を建てて、そこで作業をした。玉切り*や荒取りはチェーンソーがなかった時代は斧やノコギリで行った。この作業は、外の作業が多かったから夏の仕事となり、冬は杓子しゃくし作りとなった。

米が高かった時代、ハンゾウの値段は、それに入るだけのお米だった。1尺2寸のハンゾウには米2升5合が入る。それが代金だった。現在では、ハンゾウ=捏ね鉢は数万円するものもある。米にしたら60kgは優に買える。昔の手仕事はほんとうに手間賃稼ぎだったと言える。

*玉切り:立木の伐倒後,規定の寸法に切断して素材丸太にすること。

文: 塩野米松 Yonematsu Shiono

1947年生まれ。秋田県出身。東京理科大学理学部応用化学科卒業。作家。アウトドア、職人技のフィールドワークを行う。一方で文芸作家としても4度の芥川賞候補となる。絵本の創作も行い、『なつのいけ』で日本絵本大賞を受賞。2009年公開の映画『クヌート』の構成を担当。聞き書きの名手であり、失われ行く伝統文化・技術の記録に精力的に取り組んでいる。主な著書『木のいのち木のこころ』(新潮社)、『失われた手仕事の思想』(中央公論社)、『手業に学べ』(筑摩書房)、『大黒柱に刻まれた家族の百年』(草思社)、『最後の職人伝』(平凡社)、『木の教え』(草思社)など多数。