日本の各地には、素晴らしい風景があります。そして、そこには様々な物語が刻まれています。ここでは、写真家・青柳健二が日本各地で切り取った後世に残しておきたい素晴らしい風景をシリーズでお伝えします。
今回は、滋賀県近江八幡市の「近江八幡の水郷地帯」をご紹介します。
文・写真 : 青柳健二 Kenji Aoyagi
Keyword : 近江八幡の水郷地帯 / 重要伝統的建造物群保存地区
江戸時代の人間になった気分で街歩きを楽しむ
近江八幡市は、日本最大の湖である琵琶湖東岸に位置し、いわゆる近江商人の発祥の地として知られる。見どころも多く、八幡堀沿いの街並みをはじめとして、近世の風情がよく残る新町通り、永原町通り、日牟禮八幡宮境内地は「近江八幡市八幡伝統的建造物群保存地区」として国の「重要伝統的建造物群保存地区」に選定されている。
訪ねたときは休日で、八幡堀界隈は観光客でにぎわっていた。八幡堀沿いには裕福な豪商たちの白壁の土蔵や旧家が建ち並ぶ。『暴れん坊将軍』『るろうに剣心』などの時代劇のロケ地にもなっているほどで、華やかだった当時の様子を想像しながら自分も江戸時代の人間になった気分で街歩きを楽しむことができる。
単に旧い街並みを歩くだけではなく、八幡堀の近くまで下りて、堀沿いを歩くことができたり、橋をくぐったりと、街歩きが平面的ではなく、立体的なのだ。そこがまた近江八幡の街歩きの魅力でもあるだろう。
昭和初期まで経済を支える生きた水路だった
天正13年(1585)年に、豊臣秀次が八幡山城の麓に城下町を開き、琵琶湖まで幅員約15メートル、全長6キロメートルに及ぶ八幡堀を開削した。この水路は城を防御する軍事的な役割と、商業的役割を兼ね備えたものだった。また、楽市楽座などの自由な商工業政策が行われ、八幡堀沿いの街は廃城以後も在郷町として発達した。近江国で大津と並ぶ賑わいを見せた街の繁栄に八幡堀は大きな役割を果たしたのだ。
このように八幡掘は、昭和初期まで経済を支える生きた水路だったが、戦後は陸上交通の発達とともに廃れてきた。水質も、1950年代前半ころまでは良かったが、その後、汚泥を掬い上げる「川ざらえ」も行われなくなり、1960年ころになると八幡堀は雑草が生い茂り、異臭を放ち、荒れた状態になっていたという。
「重要文化的景観」の第1号
しかし2006年1月には、「重要文化的景観」の第1号として「近江八幡の水郷」が選定された。「文化的景観」とは、文化庁の定義によると「地域における人々の生活又は生業及び当該地域の風土により形成された景観地で我が国民の生活又は生業の理解のため欠くことのできないもの(文化財保護法第二条第1項第五号より)」とある。
http://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkazai/shokai/keikan/
少しわかりにくい表現だが、日本の文化の中で生み出された景観のことで、たとえば、水田、畑、用水路、漁村、山村などの景観を含んでいる。私なりに解釈すると、これは「日本人の知恵の風景」とも呼べるものではないかと思っている。日本人が祖先から受け継ぐ日々の生活の中から生み出された景観だ。
文化的景観は、このように日常生活とともにある身近なものなので,その価値に気が付きにくいということがあった。文化的景観を保護する制度を設けることは、その価値を正しく評価し、地域で護り、次世代へと受け渡すきっかけにもなっている。
「重要文化的景観」というのは、その中でも特に重要なもので、2019年3月の時点で,全国で64件の重要文化的景観が選定されているが、近江八幡の水郷地帯は、その第一号なのだ。
住民の景観保全に対する高い意識
なぜ荒れた水路が再生したのだろうか? その背景には、住民の景観保全に対する高い意識があったといわれる。
一時、荒れた八幡堀には埋め立てる話まで出たが、1972年ころから住民が中心となって堀を守ろうという活動が始まり、「よみがえる近江八幡の会」も設立され、八幡堀を今の姿に再生させた。重要文化的景観の第一号になったのは、そういう実績があったからだ。重要文化的景観の申し出も、行政主導ではなく、住民の意思が反映されたということがユニークで意義のあることだったのではないだろうか。
街と安土城跡に挟まれて「西の湖(にしのこ)」があるが、これはかつて数多く存在した琵琶湖の内湖(ないこ)のひとつ。内湖は琵琶湖周辺の水域のことで、昔は水路でつながって琵琶湖と自由に行き来できるようになっていた。
手漕ぎ船で水郷めぐり
明治以降、多くの内湖は干拓で姿を消したが、西の湖は干拓を免れた。今では全国でも珍しい水郷地帯は近江八幡を特徴づける大切な景観のひとつになっている。
迷路のように入り組んだ水郷地帯の美しい風景は、琵琶湖八景のひとつに数えられている。こんな水路を手漕ぎ船で水郷めぐりができるのも近江八幡ならではだろう。
近江八幡を開いた秀次は、戦塵の垢を落とすために雅な宮中の舟遊びに似せて、水郷地帯を船でめぐったと伝えられていて、これが今の近江八幡水郷めぐりの発祥と言われている。
この西の湖には、イネ科の植物「ヨシ」が生い茂る。ヨシは、1年で4m以上の高さにまで伸びる成長が早い植物で、スダレやヨシズの材料としても知られる。また、豊かな生態系も残されていて、ユシギリやマガモなどの水鳥が遊ぶ様子などを見ることもできる。
最近はヨシ産業の低迷と、後継者不足で厳しい状況だというが、水郷地帯は、生活とともに400年にわたって続いてきた貴重な文化的景観なのだ。