日本では、かつて数多くの城が存在していました。しかし、建築された当時の天守がそのままの姿で残されているものは全国にわずか12城しかありません。そのほとんどは姿を消し、現在見ることができるのは新たに建設・復元されたものです。
そんな現存天守は、長い歴史を積み重ねながら、今なお日本人の心に響く美しい姿を保ち続けています。
今回は、岡山県高梁市にある備中松山城をご紹介します。

現存天守としては最も高い場所に建つ唯一の山城

現存天守唯一の山城である備中松山城は、高梁市の市街地北端にそびえ、市内を見下ろす標高約480mの臥牛山(がぎゅうざん)に築かれています。臥牛山は大松山、天神の丸、小松山、前山の4つの峰の総称で、城の縄張はこの4つにまたがっています。天守は標高430mの小松山山頂に建てられ、現存天守としては最も高い場所にあります。

備中松山城の歴史は古く、最初に城が築かれたのは鎌倉時代の1240(仁治2)年とされています。この地は山陰地方と山陽地方とを結ぶ交通の要衝で、戦国時代は激しく戦いが行われ城主の交代も繰り返されています。

江戸時代となり、備中松山藩の2代藩主・水谷勝宗によって1681(天和元)年から3年にわたる大改築が行われ、ほぼ現在の形となっています。

天守が天然の岩盤を基礎に築城している様子がよく分かる。

現存する二重櫓。天守以外の唯一の2階建てで天然の岩盤を基礎に築いている。

雲海に囲まれる「天空の山城」

城内には天守と二重櫓、土塀の一部が現存しています。2重2階の天守は複合式望楼型で、現存天守として最も小さく、南側に唐破風付出窓、東側に入母屋造の突出部がつけられ、シンプルですが凝った外観となっています。その他、本丸南御門、東御門、腕木御門、路地門、五の平櫓、土塀などは忠実に復元されたものです。また、大手門跡の後ろには、天然の岩盤の上に築かれた高石垣がそびえ、見るものを圧倒しています。

岩村城(岐阜県)、高取城(奈良県)とともに日本三大山城とも言われる備中松山城。近年は秋から冬にかけて、臥牛山山頂にある天守が雲海に囲まれて浮かび上がり、近くの展望台から眺めるその姿は幻想的で「天空の山城」と称されて人気を博しています。

天守内部1階。城にしては珍しく囲炉裏が切ってある。

天守内部2階の御社壇。三振りの宝剣に神を勧請した

備中松山城

別名:高梁城

所在地:岡山県高梁市内山下1

アクセス:備中高梁駅前観光案内所より「観光乗合タクシー」を運行。

城見橋公園から登城バスの運行あり。下車徒歩約20分。

問い合わせ:備中松山城管理事務 Phone:0866-22-1487

築城年:1240(仁治元)年

築城者:秋庭重信(あきばしげのぶ)、水谷勝宗(みずのやかつむね)など

種類:山城

主な遺構:天守、櫓、石垣、土堀