日本各地には、人々の暮らしの中から生まれ、人々によって口承されてきた様々な言い伝えや物語があります。これらは「民話」として総称され、その風景と共に人々の間で語り継がれて来ました。
ここでは、今でも各地に語り継がれている民話と、その民話を生んだ風景を、写真家・石橋睦美が訪ねます。
文・写真 : 石橋睦美 Mutsumi Ishibashi
五箇山「母を思う二人の娘の物語」
白山山麓を流れる庄川の畔に、合掌造りの里として知られる五箇山集落がある。歴史は古く、平家の落人が隠れ住んだと伝えられてきた。江戸期には前田家の所領となり、煙硝を作り、和紙を漉き、養蚕をして暮らしを営んできた。
特に煙硝の製産は密かにおこなわれた。ために五箇山は隠れ里とされたのである。さらには流刑地でもあった。加賀騒動の首謀者とされた大槻伝蔵も、ここへ幽閉され、自刃して果てた。そんな歴史を秘めた五箇山に、母を思う二人の娘の物語が語り継がれている。
山深い里に住む母と娘二人は信心深く、毎朝、白山権現が座す山へ手を合わせ祈りを捧げてきた。しかし母が重い病に罹ってしまい、日に日に弱ってゆく。
娘たちは困り果てた。そんなある夜のことであった。白山権現が夢枕に立った。「谷川を遡った所に病いに効く湯が湧き出ている。その湯に浸かるが良い。」娘たちは夜明けを待って川を遡り、湯を見付け出す。そして毎日母を背負い、湯へ通い続けた。その甲斐があって、母の病いはみるみる良くなる。
やがて二人の娘は、山の頂にある権現堂へ詣でることを決意する。だが、山は女人禁制の神域だ。二人の娘はいつしか深い霧に包まれ、道に迷ってしまう。さらには吹雪が荒れ狂い、娘たちは雪に埋もれてしまう。
こうして二人の娘が再び里へ戻ることはなかった。やがて長い冬が終わり、雪解けが始まる春を迎えると、白山権現を祀る山の頂近くに、人形の形をした二ツの雪形が現れるようになる。以来、里人は山を人形山と呼ぶようになった。