支配階級のみが享受してきたさまざまな文化が庶民にも広がり、大きく変化した江戸時代。大衆のエネルギーを吸収しつつ、豊かな創造力と確かな技術が大輪の花を咲かせました。

見えないところに凝る! 裏まさりの美学

日本の民族服である「きもの」は、室町時代中頃から武士の台頭にあわせて表着として用いられるようになった「小袖(こそで)」です。人の体に合わせて立体的に作られるヨーロッパの衣服とは異なり、男女ほぼ同じ形状で直線的・平面的なシルエット。しかし、布そのものの美しさと装い方で驚くほどのバリエーションを展開していきます。

『猿若錦絵(さるわかのにしきえ)』一勇齋国芳、五渡亭国貞、ほか

泰平の世に完成した江戸モード

江戸時代の初め、豪華絢爛なデザインを求める武家女性などのために、職人たちは腕を競い合っていました。小袖の多くはオーダーメイドで、「小袖雛形本(こそでひいながたほん)」と呼ばれる模様の見本帳、いわゆるファッションデザインブックが次々に発行されます。寛文7(1667)年発行の浅井了意「新撰御(しんせんお)ひいながた」が現存する最古のもので、友禅染で有名な宮崎友禅の『余情雛形(よせいひいなかた)』や浮世絵の祖といわれる菱川師宣の『当世早流雛形(とうせいはやるひいなかた)』など、記録に残るだけでも120種以上に及びます。染めの技法や箔、刺繍などの技術は進化を極め、描かれる文様は華麗にして大胆! 当時の日本のクリエイターがいかに斬新であったかを物語っています。

一方、公家や武家など、支配階級のみに許されていた意匠やデザインは、太平の世となり一般大衆の経済力が向上するに伴って、庶民でも享受できるようになります。

常識はずれの振る舞いを「傾く(かぶく)」といい、江戸時代初期には、権威に抗し派手な身なりで巷を闊歩する男たちが現れ「かぶき者」と呼ばれて一世を風靡します。出雲阿国(いずものおくに)がこれを真似て「かぶき踊り」で鮮烈なデビューを果たしたのが慶長8(1603)年。そのいでたちは煌びやかにして妖艶、まさにアヴァンギャルド! 小袖デザインにも大きな影響を与え、その後発展していく歌舞伎と吉原遊廓のファッションは、江戸庶民の絶大な人気を集めることとなります。

しかし、江戸時代中期になると、幕府は質素倹約を武士だけでなく庶民にも奨励。「奢侈禁止令」を幾度も出し、贅沢品を取り締まって、違反すると江戸から追放したり財産を没収したりと、厳しい罰を下します。

庶民が着ることのできる着物の色は「茶」「鼠」「藍」のみと定められますが、それにめげないのが江戸っ子です。許可された色の範囲で、微妙な新色を続々登場させるのですが、それを表すのが「四十八茶百鼠(しじゅうはっちゃひゃくねずみ)」という色彩を表す言葉。実際に48の茶色、100のねずみ色ということではなく、「多色」という意味の言葉遊びで、例えばねずみ色=グレイでも「梅鼠(うめねず)」「茶鼠」「銀鼠」「藍鼠」「利休鼠」「深川鼠」など、茶色は「路考茶」「団十郎茶」などといった具合です。ここにも洒落心が感じられます。

加えて町民たちは、表着は地味であっさり、裏地や下着、小物など目立たないところにこだわる「裏勝り」というファッションスタイルを確立します。表は地味でありながら、裏地に密やかに大胆な柄をつける、脱いで初めて見える羽織裏など、粋な反骨精神こそが、お洒落の達人の条件でもあったのです。

江戸ならではのファッションといえば、履物にも現れます。上方では草履、雪駄が主流ですが、江戸では下駄が庶民の間で大流行。下駄はもともと「田下駄」という農具から発達したものともいわれ、本来は雨降りの時に履くものでした。しかし、当時の道路は地面に砂利を入れて押し固めた未舗装で、しかも江戸は関東平野特有の赤土ですから、雨が降れば粘土をこねた田圃状態、乾燥すれば土ほこりが舞う、これには歯のある下駄がベストだったのです。しかも歯や鼻緒をすげ替えれば、いつまでも履けます。実際、流しですげ替えを商売にする職人もいました。

江戸中期、ファッションへの意識が高まると、下駄もさまざまな形やデザインが生まれます。背を高く見せるための厚底タイプや、朱塗りや蒔絵など豪華なものが登場、寛延期には町人の塗り下駄を禁止する町触(町奉行のお達し)が出たほどです。江戸末期の花魁の道中下駄は衣装や髪飾りが豪華になるにつれ、バランスを取るために非常に高く、重量もある大きなものになっていました。

また、土ほこりが舞う江戸。男女を問わず髷にたっぷりの髪油というヘアースタイルの時代ですから、ほこり除けの被り物が必須となります。頭巾、笠もありますが、中でも手ぬぐいは一枚の布で用途も多様、色・柄などが豊富なおしゃれアイテムの一つでした。商売や場面ごとに独特の被り方があるほど、江戸の街中ではバラエティに富んだ使われ方をしていました。

男も女もすっきりとした印象を好み、粋でおしゃれで、しかも細部にこだわる江戸スタイル。その根底にある反骨精神は、現代にも大きな影響を与え続けています。

画像:国立国会図書館デジタル化資料より

タイトル画像:森義利 職人シリーズより