縄文時代、人と共に渡来してきたと考えられる日本の犬は、急峻な山や川が多い日本という島国の中で、独自の進化を遂げてきた。また、近年まで、彼らは比較的人の手による改良を経ず、強者同士が交配するという自然の摂理にのっとった子孫の残し方をしてきたため、世界的に見ても原始的な性質を色濃く残している。
ここでは、そんな日本の犬のうち、天然記念物にも指定されている柴犬、甲斐犬、北海道犬、紀州犬、四国犬、秋田犬の6種の日本犬について、そのルーツを探って行きたい。

近藤克之さんの愛犬、シェリー(牝・9歳)。柔和な顔つきと白い被毛が特徴

山深い神域に育った高野山の「導き犬」

第4回は、紀伊半島で猪を始めとした狩猟に活躍してきた紀州犬について紹介したい。天然記念物に指定されたのは昭和9年5月で、秋田犬・甲斐犬に次ぐ3番目だった。

古くから和歌山・奈良・三重の紀伊半島に分布した地犬で、「太地(たいじ)犬」、「熊野犬」、「明神犬」など地域によって様々に呼ばれていたが、天然記念物の指定を受ける際に「紀州犬」と名称が統一された。

中型犬で、体高は牡で52㎝、牝で49㎝前後。手足と胴がやや長いスラリとした体躯、他の日本犬に比べると柔和な目つきで、優雅な雰囲気さえある。今では白色がほとんどだが、もともとは黒、赤、白、胡麻、赤胡麻、黒胡麻、灰胡麻と、「紀州犬七毛色」があったそうだ。

ところで、紀伊山地にはこんな伝説がある。今から1200年以上前、弘法大師が聖地を求めて紀伊の国の山中をさまよっていた時に出会った狩人が、「この犬達が聖地に相応しい場所へ案内をしましょう」と貸してくれた黒と白の犬が現在の高野山へ導いたというのだ。

この狩人は、土地神・丹生都比売大神(にうつひめおおかみ)の子、狩場明神の化身だと言われており、連れていた黒と白の犬達は、700年ほど前に盛んに描かれた「弘法大師行状絵巻」を見るに、立ち耳・差し尾(絵巻によっては巻き尾)の中型犬。紀州犬の先祖ではなかったろうかと思わせる。

そんな「導き犬」の伝説にちなんで、丹生都比売神社では平成30年・令和2年にそれぞれ、「ご神犬」として白と胡麻の紀州犬を迎え入れている。月次祭の毎月16日に公開されており、神の使いを再現したような姿が参拝者の間でも人気だそうだ。

弘法大師を高野山へ導いたと言われる黒と白の犬は紀州犬だろうか(弘法大師行状図絵 金剛峯寺藏『高野山御開創』より)

狼の血を引くという言い伝えも

近世にスポットを当ててみると、300年以上前の言い伝えに「弥九郎犬」というのが出てくる。和歌山県新宮市に隣り合う、三重県南牟婁(みなみむろ)郡で弥九郎という猟師が飼っていた犬で、猪でも鹿でもあっという間に噛み殺してしまう強い犬だったそうだ。これは実は狼の子で、最終的には山に帰ってしまったという話だが、この弥九郎犬直系の猟犬を明治時代から昭和初期頃まで代々使っていた南牟婁郡のとある猟師は、鹿や熊を1000頭以上獲ったという。

「紀州犬が猟に鋭いのは狼の血が入っているからだ」という話が、昭和初期の頃はまことしやかに囁かれていたようだが、最後にニホンオオカミの姿が確認された奈良県の東吉野村はまさに三重県との県境に位置する。残念ながらこの弥九郎犬の血筋は今に残っていないようだが、あながち、ただの言い伝えでもないのではないか? と思わせるエピソードだ。

「生きるか死ぬか」の狭間で戦う凄まじい性

紀州犬に詳しい人を探すうち、紀州犬に魅せられ、その本質を引き出そうと、紀州犬との単独猟を30年以上もしてきた近藤克之さんに知り合う幸運に恵まれた。 

もともとは世界の難山にも挑んでいたアルピニストだった近藤さんが、山から離れて、運命的に出会ったのが紀州犬だった。それまでもボクサーやシェパードといった犬を飼ったことがあるものの、紀州犬は「ほかの犬とは何かが違った」という。「マイペースで頑固、犬の癖に、悪戯を責められても自分が悪くない時は絶対に謝らない。だけど飼い主の家族に忠実で、子どものいい遊び相手にもなってくれた」。それだけではなく、ある時、猟犬訓練所でたまたま紀州犬が猪と戦う姿を見た。「小柄な牝が、牙で腹を裂かれて腸が出ていても猪に向かっていこうとしていた。あの精神力と気迫には圧倒された」という。

在りし日の近藤家の紀州犬たち。紀州犬は猟系と展覧会系でまったく犬が違うそうで、「猟系が展覧会に入賞するのはまずあり得ない」と言われていた頃、近藤さんの犬達は上位入賞を何度か果たしている

それ以来何十頭もの紀州犬を飼い、野山を歩き続ける日々を過ごしてきた。時には、大猪を追って70mもあるダムの縁から猪ともつれあいながら落下し、悲しい別れをした犬もいる。

「自分より大きな獲物に対しても逃げず、生死の狭間で戦う姿は、アルピニストと似ている」。ほんの些細な判断が命の分かれ目になる。そんな経験を何度もしてきた近藤さんは、獲物を前に、その時持てる限りの知恵と勇気と技術を持って挑む紀州犬に同じ姿を見るそうだ。

80kg級の猪に正面から挑むブン。この犬は事故で3本足になったが、近藤さんの猟犬の中でもトップを争う猟果を上げた猛者だ

野生動物のような気高さと潔さ

近藤さんには、房総の山中にたくさんの「縄張り」がある。猟期の明ける寸前に犬との山歩きにお誘いを頂き、同行させて頂いた。この日の相棒は8歳の牝・マリ。おっとりとして人懐こく、初めて会うのに撫でさせてくれる。リードを放してもらうと、しばらく匂いを取った後、楽しそうに山の中へと消えた。

ところで、紀州犬というと「噛み止め(獲物を噛みついて止める)」、「寝屋止め(猪のねぐらで獲物を止める)」が得意だと読み聞きすることが多く、美しく柔和な外見に合わず豪胆な犬だと思っていた。 だが、近藤さんに言わせると、「紀州犬でも得手不得手は様々。鳴き止めする犬もいるし、明らかにかなわないと思う大きな猪の匂いの時は知らんぷりするやつもいる」と笑う。犬それぞれの得意を活かして、使い分けるのが人間の腕の見せ所だそうだ。(余談だが、これは近藤さんならではの神業だと思う)

房総のとあるダムを散策。マリが匂いを確かめているのは獣道で、「数日前に鹿が通っている」と近藤さん

二面性を知り、きちんと躾けるべき犬

時折、紀州犬が人を襲ったとか猫を噛んだといった事件が起きることがある。2015年、千葉県の住宅街で人を襲った紀州犬に、警官が13発もの弾丸を発砲して射殺したという事件はまだ記憶に新しい。茨城県では、「人に危害を加える恐れがある犬種」として、特定犬にも指定されている。

近藤さんに言わせると、「確かに1歳半から2歳半頃、ボスの座を狙って反抗してくる犬もいる。そういう時に飼い主がきっちりと抑え込んで“主人は俺だ!”と分からせないと、手に負えなくなることもある」という。「しかしね、多くの紀州犬は他の犬に噛んだり吠えたりしない、飼い主の心をよく汲み取る賢い犬だよ。……まあね、確かに“悍威”とやらを付けるために気性の荒い性質を伸ばす人もあるけれど、本当は自分から攻撃するような犬じゃない。紀州犬の悲しい事件の多くは人間側の問題だと思うよ」

野生が強く残るだけに、自分よりも飼い主を下に見てしまえば従おうとしないのかもしれない。ただ、これは紀州犬に限らず多くの昔ながらの性質を持つ日本犬には言えることだ。そして、苛烈な性質の裏にある、愛情深く、飼い主に忠実な顔も確かに存在し、普段はこちらの方が表に出ていることが多い。

「うちの仔犬が行った家にね、ご主人が鬱になってしまったところがあったの。でも、犬がいたから支えられた、犬が家族を救ってくれたと奥さんから感謝の電話が来たことがあった。こういう話を聞くと、やはり紀州犬は素晴らしい、飼っていてよかったとしみじみ思う。けだし、紀州犬は世界屈指の名犬だね(笑)」  

愛犬・マリと近藤さん。マリの帰りが遅いと心配し、山中へ迎えに行く姿は父親のようだ。この日もキョンを追ってなかなか帰らなかったお転婆娘は、いつの間にか車に戻っていて、「ごめんね」というようにペロリ

取材協力/近藤克之氏

1983年より紀州犬を飼い始め、最盛期には20頭前後の紀州犬を飼育。猟はもちろん、展覧会でも活躍できる犬を輩出してきた。
猟系と展覧会系が両立しないと言われる世界で文部大臣賞を獲ったこともあり、本場・和歌山や三重からも犬が欲しいと人がやってくるほど。
著書に『紀州犬タローに捧ぐ~犬馬鹿一代記~/文芸社』。
現在は近藤氏に直接連絡で入手可能。(TEL:090-3099-8369)

文: 舟橋 愛 Ai Funahashi

編集ライター。 旅と動物と料理が好きで、特にカジノのある国と甲斐犬に夢中。
2005年より北米・アジアを中心にカジノ旅行を繰り返し、訪れたカジノは10都市・70回以上。著書に「女子のカジノ旅行記」(メディア・パル)など。