日本では古くから祭事や行事に、料理と酒が供され、人々が共に宴席を囲んできました。日本酒の起源と発展の背景には、どのような物語があったのか。
国内外の民俗学に関する著書、研究論文を多数発表し、祭祀や儀礼にも詳しい民俗学者、新谷尚紀教授に日本酒の歴史の断片を綴っていただきました。

醗酵を見ていた人々は、そこに霊的な力が働いていると思ったことだろう。

酒造の神として信仰を集める出雲・佐香神社の祭事。

秋が足早に通り過ぎ、やがて雪の舞う冬が訪れると、熱燗が恋しくなる。季節のめぐりには旬の肴に日本酒の組み合わせが、至福のときをもたらす。

日本では古くから祭事や行事には、いずれも美味なる料理と酒の組み合わせが必要であった。「〝ハレ〞と〝ケ〞」のめぐりの中に、日本酒の深い味わいの世界があるのだ。伝統は決して古くさいものではない。むしろ日々の活力再生への智恵の宝庫なのである。ここでは神と酒の関わりを中心に、日本酒の歴史をひもといてみたい。

稲作がもたらした酒の原型。

然界における、美味なる最高の液体は水であろう。ナチュラルな天の恵みである。しかし、文化として最高なる液体は何かといえば、酒である。

では、日本ではいつから酒が造られていたか。キイチゴやヤマブドウなどを使った果実酒は縄文時代からあったといわれている。ヤマブドウのような果実は、容器に入れておけば、野生酵母の働きで醗酵が促され、自然にごく原始的な果実酒になったのである。

やがて稲作の伝来とともに、米を原料とした日本酒の原型が造られるようになる。それが、米を噛んで、唾液に含まれる酵素によって、糖化・醗酵をすすめた「口噛み酒」だとされている。ちなみに「口噛み酒」の「噛み」が、「醸す」という言葉の語源とされている。

人々は、ぽこぽこと醗酵する米を見て、「何かが生きている」「息をしている」と思ったに違いない。呼吸とはまさしく、生命エネルギーを取り込む霊の活動である。

酒出雲・佐香神社の祭事。

酒を神聖化した流れ。

『日本書紀』巻五の第十代崇神天皇の「崇神紀八年十二月条」に、次のような歌がある。
   この神酒は わが神酒ならず
   倭なす 大物主の醸みし神酒  
   幾久 幾久
「この神酒は、私が造った神酒ではありません。倭の国を造成された大物主神がお造りになった神酒です。幾世までも久しく栄えよ、栄えよ」と歌っているのである。
倭の国の大物主神というのは、三輪明神をさす。その大物主神(三輪明神)を祀っているのが、奈良県桜井市にある大神神社(三輪神社)だ。記紀神話によれば、大己貴神(大国主神の別名)の国造りに際して、海原を照らして寄り来たったご神霊は、「倭の青垣、東の山の上に斎きまつれ」という希望どおり、大和の国の三輪山に鎮座されたという。そのため、三輪山そのものがご神体とされ、大神神社には本殿がない。
崇神天皇の時代に大和政権が成立したわけだが、国内には疫病などが蔓延し、災厄が続いていた。そんなとき夢に現れた大物主神の進言どおり、大物主神の子の大田田根子を神主にして大物主神を祀ったところ、国内に安寧が戻ったことから、酒を醸造させて大神神社に供えたのであった。そのときに歌われたのが、前述の歌である。

三輪山と酒。

三輪山。古代より神の鎮座する山として信仰を集める山。大神神社をはじめ周辺の多くの寺社のご神体である。写真提供/奈良県ビジターズビューロー

醗酵は霊的な存在が宿る営みに他ならず、神祭りには欠かせないものであった。神祭りの原点に酒醸造の世界があったのだ。

崇神天皇の逸話からも分かるように、大神神社、三輪山と酒は深い関わりがある。『万葉集』では「味酒」が三輪にかかる枕詞として詠まれている。また、造り酒屋の軒先などに吊るされている、杉の葉を丸く円形に束ねた杉玉も、三輪山と関わりの深いものだ。この「志るしの杉玉」は、「酒林」「三輪林」とも呼ばれ、もともと三輪山の神木である杉の葉を使って作り、酒造りの安全や商売繁昌、子孫繁栄などを祈るものであった。

現在では、造り酒屋がその年の新米で醸された新酒ができたことを知らせるために吊している。

(左)杉玉:「酒林」「三輪林」とも呼ばれる杉の葉のくす玉。三輪明神の神霊が憑依する象徴として造り酒屋では大切にされている。(右)『万葉集』の歌碑「味酒」が三輪山の枕詞であることが分かる長歌が刻まれた歌碑。詠み人は額田王(ぬかたのおおきみ)。

神への供物を共飲共食することで人々が結びつき、また神とも結びつくことができるのだ。

神様のために醸した酒を飲む。

私にとって忘れられない神の酒がある。それが、島根県出雲の佐太神社の神在祭でふるまわれた「一夜御水」と、同じく出雲の美保神社の「諸手船神事」の前にいただいた「白酒」である。旧暦の10月は「神無月」といわれるが、神々が集まる出雲地方では「神在月」と呼ばれている。神在月には毎年、各神社で神在祭などの神事が執り行われる。神祭りにはその日のために醸す酒が必要だ。
神酒には、白酒、黒酒、清酒、濁酒など、種類も醸造法も多様である。一夜御水というのは、その年に収穫した新米と清澄な水を使い、誠の心で、一夜で醸す白酒だ。甘酒は米の粥に麹を加え、数時間発酵させるとできるため、「一夜酒」ともいわれるが、それに近い味わいの神聖な酒であった。現在のような出来合いの清酒の奉納や献上は、神祭りの本来の姿ではないのである。
美保神社の諸手船神事は、出雲の「国譲り神話」にちなんだ神事のひとつで、農穣感謝の意味もあり、古くは「八百穂祭」と呼ばれた古伝祭だ。美保神社では諸手船神事が行われる日の午前中に、新嘗祭を行う。新嘗祭とは、天皇がその年に収穫された新穀を食べることによって、霊力をリフレッシュさせる儀式だ。
「穀霊」「稲魂」を身体に入れて、再活性化する神事である。新嘗祭は勤労感謝の日の起源として、通常は11月
23日だが、美保神社では12月3日午前に行うのである。

美保神社。島根県松江市にあり、大物主神の后神・三穂津姫命(みほつひめのみこと)を祭神とする。写真提供/島根県観光連盟

共飲共食儀礼の意味。

私が白酒をいただいたのは、新嘗祭の後の直会の席であった。直会とは、祭儀のあとに神前に供えた供物を食べる宴のことである。神に供えたものを共飲共食することによって、神と人とが一体となることが直会の第一の意義だ。

なお、大嘗祭や新嘗祭ののちに宮中で行われた、奈良時代以降の儀式に「豊明の節会」と呼ばれる直会的な饗宴がある。これら天皇が臨席する宴席では白酒、黒酒が振る舞われるのが常であった。これは「穀霊」「稲魂」の分配であり、神の加護への感謝と豊穣祈願が込められていた。古代の新嘗祭はもちろん大嘗祭のでも、その際、醸される神酒には、人智人力の及ばぬ霊力が宿ると考えられていたのだ。

美保神社での直会の様子。新嘗祭で捧げた神酒や神饌(しんせん・神に捧げた供物)を皆に分配している。写真提供/新谷尚紀

神酒は醸す人ごとに、神聖な醸造の場に立ちのぼる霊気を取り入れ、独特の味わいをもつ固有の存在であったに違いない。実際に私が美保神社でいただいた、頭屋(神社の祭事や行事の世話人)の醸す白酒と神社で醸す白酒それぞれに、異なる味わいがあり、醗酵の妙を感じたのであった。

「ハレ」の飲み物が「ケ」の日常に。

酒は神人交流の飲み物であった。祭りのたびに作って飲むというのが基本であったため、当然のことながら、日常的なものではなかったが、室町時代末期に「諸白」と呼ばれる清酒が誕生した(というのが通説である)辺りから、酒造りは大きく変化していく。現在の日本酒、清酒は諸白の系統を引く。伏見に代表されるように、京都では室町時代にすでにかなりの数の酒屋があった。

あえのこと。石川県奥能登地方に伝承される新嘗の祭礼で、収穫の感謝と翌年の五穀豊穣を祈願し、田の神をもてなす農耕儀礼である。写真提供/石川県観光連盟

江戸時代には造り酒屋で清酒の醸造が広まり、とくに町方では清酒が普及していた。喜多村節信が著した風俗百科事典『嬉遊笑覧』(1830年)にも、「酒の、今の如く清酒になりしは、一百年以来の事となん、今も辺地には濁酒を用」とある。清酒は町方の富裕層や上流階級の人々の嗜好品となり、その商品価値も上がっていた。

近代に入り、酒が普段から飲まれるようになり、「ハレ」の飲み物が「ケ」の日常になった理由について、日本民俗学の創始者である柳田國男は「明治・大正時代に、都市のサラリーマンが増えたから」といった。都市部では商品化するのが早い。大衆化すれば一般の人も飲めることとなり、日常化すれば晩酌をするという流れである。

味わい深い飲食こそが、 文化の源である。

今も変わらずにある濁り酒。

遠野どべっこ祭りの神楽。自家製のどぶろくと地元の造り酒屋が醸す濁り酒「どべっこ」を楽しむ、岩手県遠野地方の祭り。写真提供:岩手県観光協会

しかし、古代『万葉集』の時代から現代まで、もっとも長く広く親しまれてきた日本の酒は濁り酒、「どぶろく」と呼ばれる酒である。大伴旅人の「酒を讃むる歌十三首」のうちの一首に、次のような歌がある。

     験(しるし)なき 物を思わずは 一杯(ひとつき)の 

     濁れる酒を 飲むべくあるらし

「考えても仕方のないことに思いをめぐらすよりも、ただ一杯の酒を飲む方がよい」。いつの時代も酒好きの思考は変わらないのである。
江戸で透明な酒がもてはやされた時代にあっても、地方ではどぶろくが主流であった。小林一茶におもしろい句がある。
     山里や 杉の葉釣りて 濁り酒

「杉の葉」というのは、前述したとおり、造り酒屋の軒先に吊るしてある杉玉のことである。この一茶の句によれば、田舎の山里では、造り酒屋でもまだ濁り酒がふつうであったらしい。
神が醸した酒も濁り酒であり、新嘗祭などで神に捧げた酒もまた濁り酒であるから、伝統的な豊穣祈願の祭事を残す地域では、この風習が今でも「どぶろく祭り」などとして伝えられている。

どぶろく讃歌。

そのどぶろくを家で上手に醸し、長い歴史をもつのが、東北地方ではないかと思っている。いく度も訪れた東北農村の家々に伝わるどぶろくは、醸造の技術や品質ともに、それを醸す家ごとに、人ごとにそれぞれでありながら、いずれも最高の味わいであった。世俗の人が醸す酒にも、雪深い地方の自然の霊気が吹き込まれるのだと思ったものである。

白川郷どぶろく祭の神酒。岐阜県白川郷一帯のどぶろくは、約1300年前頃からすでに祭礼に用いられていたと伝えられている。写真提供/岐阜県白川村役場

連綿と続いてきた自家用酒の醸造が禁止されたのは1899(明治32)年であったが、実に愚かしい政策である。政府としては酒税の徴収が必然としても、酒の醸造の技術と味わいを、自給自足の文化として残すことこそ、稲作の民への理解ではなかろうか。

歴史ある白川郷のどぶろく祭。五穀豊穰・家内安全・里の平和を山の神に祈願する祭礼。神社酒蔵で造られたどぶろくを神に捧げる。写真提供/岐阜県白川村役場

それから約100年後の2003年、認められた特別区内なら、農家などが自家生産した米で仕込んだどぶろくを製造、販売できるという「どぶろく特区」の制度が設けられ、地域や伝統、技術と文化を大切にするという意味で、ようやく風穴が開けられたものと思われる。
農業に従事する者が、自分で作った米や野菜、果物の一番おいしい食べ方を知っているのは当たり前のことである。「民の酒」として残るどぶろくの、農家の自家醸造による地産地消と文化交流が、盛んになっていくことを期待してやまない。

新谷尚紀(しんたに・たかのり)

民俗学者、国立歴史民俗博物館・総合研究大学院大学名誉教授、國學院大学教授。

現在、國學院大学大学院と文学部で民俗学研究の後継者育成に努めている。
『民俗学とは何か─柳田・折口・渋沢に学び直す─ 』『日本人の春夏秋冬─季節の行事と祝いごと』など著書多数。

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