

古くから重要な食用作物として栽培されてきた植物・イネ。 近年米の消費の減少がいわれますが、それでも我々の食事の中心です。 野生のイネから食の主役になるに至ったプロセスを追ってみましょう。
文 : 藤沼 裕司 Yuji Fujinuma / 絵 : 朝生 ゆりこ Yuriko Aso
イネは湿地を好む 温かい地方の水生植物
私たちの主食として欠か せない米はイネの果実 で、現在では作物用と してイネ属の2種が栽培されて います。一つは東南アジア起源 のサティバ種で、広く世界の熱 帯や温帯で栽培され、もう一つ のグラベリマ種はアフリカ起源 で、こちらは西アフリカの一部地域に限られています。
イネの仲間は約 種、一年草 と多年草がありますが、栽培種 の場合は一年草として扱われま す。草丈は 〜180センチで すが、栽培種では1メートル以 上になることはありません。葉 は線状で細長く、茎は中空、湿 った環境を好み、野生状態では 大河の氾濫でつくられた湿地な どに大群落を形成し雑草化することもあります。
サティバ種の先祖は、中国からインドにかけて広く分布する 野生種のルフィポゴン種とされています。したがって栽培イネ の発祥はその分布域に含まれる いずれかの地と考えられ、イン ド東部や中国の雲南、あるいは インドシナ半島北部やアッサム の山岳地帯など諸説いわれます が、確証は得られていません。
栽培の始まった時期について は、発掘調査による籾殻などの 出土品が一つの手掛かりになり ます。今日、中国揚子江下流域 に点在する紀元前5千年の遺跡 群、タイではさらに遡って前1 万年の古墳など、各地で栽培の 痕跡が確認されていますが、今 後研究が進むにつれ、その年代 はもっと古くなる可能性もあり ます。
縄文期末以前に日本に渡来、 経路には三つの説
イネの伝播は、西方へは 前4世紀のアレキサン大王の東征以降でイラン、イラクを経て順次西に 伝えられました。アラビアやエジプトヘハ8世紀以降、スペインやイアタリアへはアラビア人により伝ええられ、イタリアでは15世紀半ばの栽培の記録があります。新大陸へはだいぶ遅れて16世紀半ばの栽培の記録があります。新大陸へはだいぶ遅れて、16世紀初めにポルトガル人によりブラジルへ、アメリカへは20世紀に入ってからカリフォリウニアに伝えられました。
日本への伝播は弥生式土器に 残された痕跡から、弥生時代の前1世紀とされてきましたが、近年でも縄文時代末か、それ以前とする説が有力視されています。その経路については、三つの説が あり、一つは朝鮮半島経由説、 二つめは揚子江下流域から海路 東シナ海を渡って北九州へとす る江南説、三つめは民俗学者柳 田國男が唱えた南方説で、琉球 諸島を北上する海上の道により 九州南部に入ったとする見解です。朝鮮半島経由説については、 半島北部は寒冷で当時はまだ寒 冷地適応型のイネは作られなか ったこと、南方説については沖 縄の考古遺跡では古い時代のイネの出土がないこと、また、九州での伝播は北から南へたどっ たとされることなどから、否定 的見解のほうが上回ります。

米どころ新潟に迫る 北海道の生産量
北九州に入ったイネはそ の後本州に伝播し、弥 生時代中期には東北地 方にも存在したことが発掘調査 により明らかにされています。『万葉集』ではイネを詠んだ歌が 首ほどあり、その中にしばしば早稲(わせ)という言葉が出てくることから、当時、すでに早稲や晩稲(おくて)の品種が作られていたとする見方もあります。
経済作物として広まったのは8世紀末以降と考えられ、鎌倉 時代にはイネを収穫してからム ギを植える二毛作も行われるよ うになりました。イネが津軽海 峡を渡ったのはずっとのちのことで、明治に入ってから道南の 一部地域で栽培が始まり、現在では全道で可能になっています。
稲作には高温多雨の環境下が 適し、世界の生産状況を見ても 特にアジアのモンスーン地帯に 位置する国々が生産量トップ のほとんどを占めています。日本国内では関東以北の1道9県がトップ に名を連ねますが、中でも北海道は冷涼な気候のため難しいとされながらも、改良により寒さに強い品種を作り出して新潟県と生産量でトップを競っています。

適度な粘り気でうまみを 引き出すジャポニカ
アジアの広い地域で作物 栽培されているサティ バ種には、日本のジャ ポニカと、タイやミャンマーで作られているインディカがあり、さらにジャポニカは温帯型と熱 帯型に分けられ、熱帯型はジャ ワニカあるいはジャバニカとも 呼ばれています。
ジャポニカは、穀粒は丸みをおび小判型、籾摺りや精米のと きに砕けにくく、ふっくらと炊 き上がり適度な粘り気がありま す。また、茎は強く脱穀後、縄 やむしろなどさまざまなところ で役立てられます。
インディカは、穀粒は細長で 砕けやすく、粘り気に欠けぱさ ぱさした炊き上がりになります。
ジャワニカは、穀粒はジャポ ニカの倍ほどの大きさで、北回 帰線以南のアジア諸国に多く、アメリカ南部ミシシッピ川下流 域でも栽培されています。
米の粘り気を左右するでんぷんの含有成分
稲作には水田に苗を植えて栽培する水稲(すいとう)と、畑地に種子を直まきする陸稲(りくとう)があります。近年では、関 東地方のごく一部で陸稲が作ら れる程度で、ほとんどが水稲で す。そのメリットとしては、畑 地では同じ場所で毎年栽培を繰 り返すと病気などの連作障害を 起こしますが、水田ではその心 配はなく、また、反当たりの収 穫量も陸稲よりはるかに多い、 などが挙げられます。専門家の 間でも水田稲作のメリットがよ く理解されていなかった頃、社 会的な視野からその有用性を説 いたのはアメリカで農学を学んだ永井荷風の弟、威三郎でした。
秋になってイネを刈り取り、 籾殻を除いて玄米にします。玄米から胚芽や糠を取り除くことを精米といいます。
米は含まれているでんぷんの性質により、うるち米ともち米 に区別されます。でんぷんを構 成する成分の一つにアミロース があり、これが多いほど粘り気 なくぱさぱさした米になります。 うるち米はこれを少量含みますが、もち米にはほとんど含まれ ません。前者は飯米の他に酒や 味噌などの原料に、後者は餅や 赤飯に使われます。
いつまでも残したい なつかしい田園風景
本の年間生産量は玄米 で1千万トンあまり、 実にさまざまな銘柄が 市場に出回っていますが、群を 抜いて人気なのが「コシヒカ リ」です。新潟県を中心に北海 道、東北北部を除き全国的に作 られ、昭和 年以降1位の座を 譲らずその作付け比率は %近 くにも達します。2位は主に青森県を除く東北各県で作られる「ひとめぼれ」で %弱、以下、 「 ヒ ノ ヒ カ リ 」「 あ き た こ ま ち」「ななつぼし」などが続き ますが、「ななつぼし」の作付け比率は3%にすぎません。 人々の米離れは久しく、1人 当たりの消費量も減少を続けて います。さらに農業従事者の高 齢化、若者の離農による後継者 不足など、米づくりの将来は明 るいとはいえません。しかし、 我々の食卓から米が消えること はなく、これからも米が主食で あることに変わりはないでしょ う。行政の適切な指導、農業関 係者の創意や努力が期待されま す。そして、米を育む水田のみ ずみずしい光景も、いつまでも残しておきたいものです。