神の使い・眷属(けんぞく)として、日本各地で今もなお崇め奉られる「狼信仰」を辿る。
コロナ禍の中、連載の11回、12回の2回にわたり、急きょ疫病と狼信仰との関係について紹介したが、ふたたび東北地方の狼信仰にもどることにする。

一木から彫り出された狼の木像

宮城県村田町歴史みらい館企画展「再び、オオカミ現る!」の資料「山津見神社の分霊社一覧」には、新潟県、福島県、宮城県、山形県、北海道に点在する52社がリストアップされている。その中で、福島県が38社で一番多く、次に宮城県の9社だ。少数だが、山形県にも分霊社があることは前回触れた通りだ。おおよその信仰圏がわかる。

分霊社の中には「山津見神社」ではなく、「山神社」、「大山祇神社」と名付けられたところもある。

丸森町大内地区の青葉と佐野集落には、山津見神社の分霊を祀った「山神社」があった。社殿内には、一木から彫り出された狼の木像が奉納されていた。高さは50~60cmで、明治から大正時代にかけて制作されたのではないかと、村田町歴史みらい館専門員・石黒さんは推測している。

現在、大内地区の熊野神社の境内に移され、狼像も社殿内に置かれている。格子戸から覗く木製の像はすばらしい。これはシロアリの食害にあって保存が難しくなっていたが、東北芸術工科大学文化財保存センターで1年かけて化学的に保存処理されたそうだ。

山神社の狼の木像

狼の姿を浮き彫りにした石碑と猫神様

また宮城県丸森町に全国的にも珍しい狼像があることも教えていただいた。大内地区には、狼の姿を浮き彫りにした石碑が数基確認されている。

石黒さんは宮城県内の猫・狼などの石碑を研究しているが、もともと、丸森町は猫の石碑が多いところとして知られている。

阿武隈川流域は全国有数の養蚕地帯で、町も県内最大の養蚕地だった。蚕をかじるネズミを駆除する猫が大切にされ、石碑と石像は計81基を数える。「丸森町の猫碑めぐり」が発売され、町おこしに一役買っている。養蚕が盛んだったので、鼠除けのために猫を多く飼っていたからというのが、一般的な説明だが、石黒さんは、猫の供養もあったのではという。

2019年、台風19号で丸森町は甚大な被害を受け、東北最古の「猫神さま」の石碑も泥に流されたが、後日、石黒さんたちによって無事に発見された。泥を洗い流して元の場所に置いた。境内の泥などもボランティアの人たちの助けがあって、ほぼ元通りになったということだ。

丸森町では狼の石碑の数基に比べて、猫は81基と圧倒的に多い。最近は、世の中猫ブームで犬人気は押され気味だが、ここでも猫に圧倒されている。

それはともかく、狼像に話を戻そう。大内地区に狼の浮彫りの石碑があるのも、この猫の石碑の影響なのかもしれない。

大内地区の動物との独特の関係性

宮城県内には、犬・狼関係の石碑は10基ほどあるらしいが、その中で、像が彫られたものは多くなく、鬼が柵の山神社の他、3カ所(内1基は狼ではなく、大正時代の飼犬「べく」の墓)を教えてもらったが、すべては丸森町にある。しかも丸森町でも大内地区に集中している。この狼は、近くの山津見神社の御眷属としての狼を表していると考えられているそうだ。

地図で確かめてみると、福島県飯舘村の山津見神社と大内地区は、直線距離で十数キロしか離れていない。県境をまたいで交流はあったということだろう。

石黒さんは大内地区が動物との独特の関係性を感じるという。猫の石碑を作った同じ石工の狼像もあるのかもしれない。その狼の石碑のうちの1基は、大内地区の、あるお宅の玄関先にあった。ご主人が在宅で、狼の石碑を見に来たというと「よく来てくれましたね」といって案内してくれた。それは庭の草に隠れていた。ご主人は見えやすいようにとわざわざ草を刈ってくれた。

彼のおじいさんからは、長年これを家の門のところで飼っていた番犬「カド(門)」の供養碑だと聞いていたそうだが、あるとき石黒さんが調べて拓本を取ってみたら、江戸時代の古いもので、犬の墓ではなく、狼像であることがわかったという。花崗岩製、高さ43cm、幅33cm、厚さ8cm、左を向いた狼の座像の浮彫りだ。そして「万延元天十一月吉日施主」との銘がある。彫が浅いので、晴れた日か、暗い時に懐中電灯で照らして見た方がいいかもしれない。

大内地区の、ある民家の石碑

それにしても、狼像が彫られた石碑というものを他で見たことはなく、かなり珍しいもののようだ。石黒さんによると、狼像だけ彫った石碑は、丸森町大内地区にしかなく、狼像と「三峯山」や「三峯神社」の文字といっしょに彫られた石碑は、宮城県北部や岩手県沿岸部で3基確認されているだけだという。

もう一カ所、あるバス停前に置いてある狼の浮彫の石碑を見たが、曇天という条件もあったろうが、正直、この石碑の彫りも浅く、先に見せていただいたものよりもさらに目を凝らさないと狼とは気が付かないほどだ。それこそちゃんと拓本でも採ってみないと正確な姿はわからない。

あるバス停前に置いてある狼の石碑_87A3736

鬼ヶ柵の山神社の石碑群

最後に、鬼ヶ柵にある山神社へ向かった。

神社のそばで草むしりをしていた奥さんのところに車を停めさせてもらい、仮に架けられた橋を渡って田んぼの向こう側に渡った。

赤い鳥居の先、山神社の境内には、石碑が20基ほど並んでいた。

神社へ渡るこの橋も、2019年の台風19号で流されてしまったが、石碑群は無事だったという。貴重な文化財の流失が免れたのは正直嬉しいことだ。

あるバス停前に置いてある狼の石碑_87A3736。

石碑は、馬、猫、狼、そして、蚕の供養碑もあった。狼の石碑は木の幹の裏側にあって、正面からは見づらい位置にあった。斜めから見るしかないが、高さ約50センチの安山岩製の石碑に、左を向いた狼の座像が彫られ、上部に三日月とたなびく雲の表現が施されている。狼の姿がはっきりとわかる。尾は巻いていて、腰を少し浮かせた状態なので、立ち上がる寸前の姿を現しているのではないかという。右側に「明治廿二年十月十一日」と彫られている。

狼自体の大きさは、高さが23cmで、それほど大きくはないものの、全国の狼像を見てきたが、このようなユニークな狼像を他で見たことがない。

鬼ヶ柵の山神社の狼の石碑

車に戻ったとき、奥さんに「すごい、すごい、いろんな動物いましたね」と、私が興奮して言うと「そうかね」とそっけなかったが、地元民のその自然さがまた良かったりするのである。

《参考資料》

「東北地方の狼信仰」(村田町歴史みらい館企画展「再び、オオカミ現る!」