弾琴男子像という埴輪が出土していることからも分かるとおり、板の上に糸を張り、指や爪で弾いて音を出す仕掛けは、人類が編み出した最も古く、最も根源的な楽器なのかも知れません。
ルーツをたどると弥生時代にまで遡るともいわれる日本の箏。その構造はきわめてシンプルなものですが、紡ぎ出される音色は表情豊かで、実に変化に富んでいます。シンプルだからこそ奥深い……、
そんな箏の世界をのぞいてみましょう。

長い箏を龍の姿に見立て、各部に名称が付けられています。

優雅で、おだやかな箏の調べは、日本人にとって最も心地よい音色のひとつでしょう。三味線や篠笛、鼓や太鼓などとともに、和楽器のなかでは耳にする機会も多い楽器ですが、箏という楽器やその弾き方を正確に知っている人は意外に少ないのではないでしょうか。

たとえば「琴線にふれる」とはよく聞く言葉ですが、ここで使われる『琴』という漢字がさす楽器は、われわれが一般的に思い浮かべる箏とは別のものなのです。

そもそも箏は古代に中国大陸から伝来した楽器で、平安期以前は「琴のこと」、「箏のこと」、「琵琶のこと」とそれぞれ呼ばれていたもののうち、箏だけを「こと」と呼ぶようになっていきました。現在、一般的には柱を立てて音階を作る楽器を「箏」、須磨琴(一弦琴)や八雲琴(二弦琴)、大正琴のように指で直接音程を変えていくものを「琴」と呼びます。

龍尾:演奏者から見て左側が龍尾。絃をのせる部分は雲角と呼ばれ、余った絃は美しく丸められ、尾布と絃の間に挟み込まれる。
■龍頭:演奏者から見て右手を龍頭と呼ぶ。絃をのせて張るのが龍角。右側面は龍舌と呼ばれ、客席から見えにくい部分だが豪華な装飾が施されている。龍頭部分を持ち上げているのは上足(猫足)。
■甲と柱:現在、箏の絃は切れやすい絹糸に代わって、テトロン絃が用いられている。絃は太さも長さも同じで、甲の上に立てられる柱(琴柱)によって音程を調整します。
■音穴(裏穴):龍頭と龍尾の裏側には、音を外に響かせる音穴がある。音を複雑に響かせるため、胴内には複雑な段が刻まれているのが見える。

箏のなかで、われわれに最も馴染み深いのが日本で独自に発展した13本の絃を持つタイプです。このほか、大正から昭和にかけて、より広い音階を出せる17本、あるいは、20本(のちに21本になる)の絃を持つ箏も開発され、それぞれ十七絃箏、二十絃箏と呼ばれています。

「私は幼い頃よりピアノを学んでいたので、初めて箏にふれた時は世の中にこれほど単純な楽器があったのか……と呆れてしまうほどでした」

こんな話を聞かせてくれたのは生田流箏曲宮城社大師範をつとめる高畠一郎さんです。

箏は全長1.8mほどの大きな楽器ですが、その構造はいたってシンプルです。まず、桐の木をくり抜いた甲羅状の表板があり、背面には2つの音穴を持つ裏板がかぶせてあります。そして、表板の上に張り渡された絃の数は13本。演奏者から見て右手を龍頭、左手を龍尾といい、長い楽器を龍の姿に見立て、各部の名称も付けられています。

本来、絃は絹製ですが、現在はテトロン絃が主流。弦楽器は普通、低音は太い絃、高音は細い絃で鳴らしますが、箏の絃は太さも、張る強さも全て同じ。表板の上に立てた柱の位置で音階を作るのです。

また、箏の演奏といえば畳の上に正座して……というシーンを思い浮かべる人がほとんどでしょうが、最近は、稽古ばかりでなく、演奏会でも、箏を台の上に据え、椅子に腰掛けて演奏する「立奏」のスタイルが多くなっているといいます。

■立奏:立奏台に箏を載せ、椅子に腰掛けて演奏する。長時間の稽古や演奏でも足腰の負担は少なく済みます。

強く、弱く、優雅に、華麗に……。さまざまな音色が心に響きます。

「ピアノには88個も鍵盤があるので、たいていの曲は譜面どおりに弾くことができます。一方、箏には絃が13
本しかありません。コード進行もなく、基本的には単旋律の演奏のみです。ところが、これほどシンプルな楽器でありながら、箏の生みだす音色は、ピアノより遙かにバラエティ豊かなものなのですよ」

こう高畠さんは言います。

右手の親指、人差し指、中指の3本にはめた「爪」は、ただ絃を弾くだけでなく、並んだ絃を勢いよくかき上げたり、1本の絃を細かく震わせたり、擦ったりもします。また、半音や一音上げるため、上から絃を強く押さえつける左手も、そっと絃にふれて響きを抑えたり、ときには柱を跨いで絃を弾き、右手の爪とはまったく違う優しい音色を響かせることがあります。

クラシックギターのような力強い弦の響きもあれば、ピアノの高音部のような澄んだ音もあり、一台の楽器とは思えないほど、さまざまな音色を紡ぎ出すことができるのです。

今回取材した生徒さんも、そんな箏の音色に魅了された一人。演奏会で聴いた箏の音が忘れられず、自分でも弾いてみたいと思い立ったのが稽古を始めたきっかけでした。

■稽古風景:間近で稽古を見ていると、同じ絃でも弾き方により音色がさまざまに変化していくことに気付きます。

江戸時代、箏の伝承は盲目の音楽家集団、当道座のみに許され、多くの名人や名曲が生まれたという背景もあるため、それぞれの流派に伝わる譜面は、あくまで「覚え書き」のようなものにすぎません。

「五線譜なら、ひと目見ればどんな曲かおおよそを理解することはできますが、箏の楽譜はそのとおりに弾いても曲にならないんですよ(笑)。先生から学び、先人の弾き方を真似するだけでなく、楽譜に隠されている作曲者の思いをいろいろ考えてみることがとても大切なのです。書き込みなどをして、次第に自分なりの楽譜ができていくと、箏の腕はメキメキと上達していきます(高畠さん)」

生徒さんに聞いても、箏は一所懸命練習すれば、すぐに上手く弾けるようになると言います。しかし、少し上達すると、今度はそれまで気付かなかった難しさが新たに見えてくるそうです。簡単なようで難しく、シンプルなようで奥が深い……。そんなところが箏を習う魅力であり、いちばんの面白さとなっているのかも知れません。

高畠一郎 (たかばたけ・いちろう)

12歳から叔母の手ほどきを受け、その後、箏曲宮城社大師範・砂崎知子に師事する。
東京藝術大学大学院音楽研究科修了後、第28回宮城会箏曲コンクール、第四回賢順記念全国箏曲コンクールにおいて第1位を受賞。
ライブやリサイタルはこれまでに計12回を数え、2012年に開催した高畠一郎箏リサイタル『ひむかしとりかふ』で文化庁芸術祭賞〈優秀賞〉を受賞。NHK『芸能花舞台』やテレビ朝日『題名のない音楽会』といったTV・ラジオ番組にも出演。
現在、生田流箏曲宮城社大師範、箏曲三軒会(本部・千葉県市川市、支部・広島県広島市)主宰。生田流箏曲 箏道音楽院 副代表 兼 千葉支部長(教室・千葉県市川市、広島市・呉市、福岡市)、砂崎知子と琴ニューアンサンブル団員、森の会会員、立正大学非常勤講師、徳島県邦楽推進委員会特別会員。

<ホームページ>
http://ichiro3.music.coocan.jp/index.html
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*この『めぐりジャパン』は、株式会社シダックスが発行していた雑誌『YUCARI』のWeb版として立ち上げられ、新しい記事を付け加えながらブラッシュアップしているものです。