伝統芸能はライブですから、その時にその場でしか体験できない「形のないもの」です。一方で伝統芸能は、楽器や大道具、小道具、面や鬘、装束や衣装など、「様々なモノ」に支えられています。
今回は日本の伝統楽器の中でも最もポピュラーな楽器の一つ、三味線の「棹(さお)」を取り上げて、伝統芸能を支えるモノについて考えてみたいと思います。
多様な三味線のバリエーション
三味線」と一口に言っても、そのバリエーションは実はとっても多い。義太夫節三味線、津軽三味線、長唄三味線、常磐津三味線、清元三味線、地歌三味線、民謡三味線、等々、「◯◯三味線」のようにそのジャンルの名前を冠した三味線がいくつもあります。
このように、似たような形の楽器がジャンルに応じて厳然と分かれているのは、世界的にも珍しいことかもしれません。例えばヴァイオリンの仲間、ヴァイオリン属はヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバス。これらは大まかには形や奏法が類似しているといっても、三味線に比べたらその違いがかなりはっきりしているように思います。少なくとも、ヴァイオリンとチェロを見間違えるということはあまりないでしょう。
しかし、各々の種類の三味線は、遠目に見たら違いがはっきりわからないかもしれません。全長も各部分の作りやバランスも、ヴァイオリンとチェロに比べれば微妙な違いに見えるでしょう。それでも、義太夫三味線を長唄に用いたり、長唄三味線を常磐津に用いたり、民謡三味線を津軽三味線の代わりに用いることはあり得ません。微妙ながら絶対的な違いが、各三味線にはあるのです。
三味線の前に付けて区別される「◯◯」の部分、つまりその三味線を用いるジャンルの特性は、そのまま三味線に表れています。言い換えれば、ジャンルの特性を表現するために、「微妙ながら譲れない」違いが三味線に生じ、三味線の細分化が進んできたと言えます。その「違い」は実際にはどのようなものなのでしょうか。
太棹(ふとざお)・中棹(ちゅうざお)・細棹(ほそざお)の違い
ジャンルにより細かく枝分かれしてきた三味線ですが、これらの多様な三味線を分類する時に、「太棹・中棹・細棹」に分けることがあります。これは三味線の棹の太さによる分類で、太棹の代表格は義太夫三味線、細棹の代表格は長唄三味線で、この呼び方は江戸時代から続くものです。義太夫三味線のことを「太棹」、あるいは更に略して「太ふと」と言ったり、長唄三味線のことを「細棹三味線」ないし「細」と呼んだりすることは慣習としてありました(津軽三味線が現在のような太棹を用いるようになったのは、初代高橋竹山の工夫によると言われ、比較的新しいことです)。
その後、太棹三味線と細棹三味線の間の太さの棹の三味線、いわばグレーゾーンの太さの棹の三味線は便宜的に「中棹三味線」と総称するようになりました。それゆえ、「中棹三味線」には地歌三味線、常磐津三味線、清元三味線のように「中棹」とはいっても比較的太めの棹を用いるものから、同じ「中棹」でも民謡三味線のように比較的細めの棹を用いるものなど、幅があります。もっとも民謡は日本中に分布しているので、中には比較的太い棹の三味線を用いることもあります。また、地歌の中でも柳川三味線と呼ばれるものは特殊で、「極細」といってもよいくらい細い棹の三味線です。
ところで三味線の棹の太さで「太棹・中棹・細棹」に分類すると、棹の太さだけが異なっているような錯覚を起こしますが、そうではありません。太くて重い棹の先には大きめでどっしりとした胴が付き、こうしたがっちりした三味線に張る糸は当然太くなり、胴に張られる革も厚めになるので、全体として重厚感のある低音域が得意な楽器になります。これは実は発想が逆で、義太夫節がそうした音色を求めたから、そういう特長を備えた三味線が義太夫三味線として定着したのです。細棹三味線もしかり。比較的高音域で、技巧的で早く細かい音の動きを可能とするために、細い棹に華奢な胴、細い糸に幅が狭くて高さもあまり高くない駒を用いるようになったと考える方が自然です。
そう考えると、各三味線の棹をはじめとした形状の違いは、演奏される音楽ジャンルの特性を引き出すべく「微妙ながら譲れない」違いとして今日に伝わっているといえるでしょう。
棹の素材―紅木(こうき)、紫檀、花梨
三味線には多くのバリエーションがあり、それはその音楽ジャンルの特性を反映していると書きましたが、その素材となると話は別です。どのジャンルの三味線でも棹の素材は紅木が最適とされます。これは紅木は目が詰まっていて硬いという特徴があるからです。
三味線を演奏する際には左指で糸を押さえますが、そのポジション(勘所かんどころ)にはフレットなどの目印となるものは付いておらず、手と耳の感覚で覚えます。その勘所をきっちり押さえるために、演奏者は左指の腹ではなく、指先を曲げて爪で押さえています。こうしてしっかり押さえることで、音をくっきりと際立たせることができます。また、音に余韻を与える工夫として、ある勘所から別の勘所まで指(爪先)で擦って移動する技法があります。こうすると、ある音からある音への移動が滑らかにつながって聴こえます。
しかし、爪先で棹を押さえると、良く使う勘所の棹の部分はだんだん削れて窪んでしまいます。また、ある勘所から別の勘所まで爪を擦った跡が、棹に溝のようになって残るようになります。これらを「勘減かんべり」と言います。この状態では、勘減りした部分を押さえた時に、雑音が混じった音がしてしまいます。こうなったら修理が必要です。基本的には、勘減りした部分に合わせて棹を平らに削ることになりますが、そうすると、僅かずつとはいえ棹が細くなります。これを繰り返していると、いずれ太棹が中棹に??もちろん、そうなるには相当時間がかかりますが、それを防ぐためにも、棹が硬い素材であれば窪みや跡が付きにくくなり、棹は良好な状態を長く保つことができます。この条件を備えているので、紅木、次いで紫檀が上等とされます。
しかし、紅木、紫檀ともに高級輸入材なので、稽古用には、紅木や紫檀に比べたら柔らかくなりますが、花梨材のものが多く用いられています。また、勘減りの修理方法についても、従来の窪んだ部分に併せて削るのではなく、窪んだ部分を木粉と接着剤を併せたもので埋める方法も行われるようになっています。稀少な素材を大切に使う工夫とも言えます。
ちなみに、紅木も紫檀も、ワシントン条約の「附属書Ⅱ」に掲載されていることをご存知でしょうか。「附属書Ⅱ」は、「現在は必ずしも絶滅のおそれはないが、取引を規制しなければ絶滅のおそれのあるもの」が掲載されるリストです。リストに掲載されているものは、商業目的の取引は可能ですが、輸出国政府の発行する輸出許可書などが必要です。今後、あらゆる三味線の棹の素材の適材とされる紅木や紫檀は、ますます稀少になっていくかもしれません。
では代替材料を開発すればよいといっても、絹糸と相性が良く、指や爪に過度な負担が掛からず、糸を棹の上から指で擦ると美しい余韻が生まれるような素材を開発することは一朝一夕にはいかないでしょう。三味線の棹の素材について知り、三味線の棹が楽器の多様性の象徴であることを知り、その根幹には目指す音楽の表現が明確にあることを知って、三味線の音色に耳を傾ける際には、同時にその素材が直面する課題についても思いを寄せたいものです。