梦枕貘作为一位十分高产的作者,至今已经著有约300本著作。其代表作《阴阳师》被誉为当代作家中日式美学的代表之一,经由漫画和电影的改编播出后人气持续上升,累计销量竟多达600多万册。最近,梦枕貘与日本考古学家冈村道雄的对谈被整理成册出版。这本名为《绳文探险队的记录》的书中,阐述了绳文时代 人们的衣食住行以及神灵信仰是以一种什么样的形态在影响着现代日本人的思维方式。梦枕貘先生将为我们讲述他的作家经历,以及对于日本文化现象的一些看法。

Text : 杉田宏樹 Hiroki Sugita / Photo : 岩田えり Eri Iwata / Chinese Version : 唐 诗薏 Sherry

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梦枕 貘

1951年日本小田原市出生。1989年以《吃上弦月的狮子》获得第十届日本科幻文学大奖,1998年以《众神的山岭》获得第11届柴田链三郎奖。2001年刊登的《大江户钓客传》获得了第39届镜花文学奖和第5届舟桥圣一文学奖以及第46届吉川英治文学奖。著有人气系列小说《阴阳师》《饿狼传说》等等。长篇作品著有《沙门空海》(中译:2017年陈凯歌导演作品《妖猫传》原著)、《东天的狮子》《大江户恐龙传》等等。2017年获得第65届菊池宽赏。2018年被授予紫绶褒章。

我不喜欢悲伤的结尾

当然,也还是会有很多作家在文学创作的时候喜欢给出悲剧性的结尾,这就没我什么事了。如果是我写悲剧结尾的话,我还是会想在里面加入主角们能够得救的伏笔。基本上我无论如何都只能思考书中的主角要怎么样才能获得完美的结局,我所有的情节与伏笔都是为了把故事推到这么一个终点,对我来说绝对不会有圆满不了的悲剧。即使是用一个不可能的设定去圆它我觉得也是很有意思的。就是要保持这种“这样展开会很有趣”的劲头使劲儿写下去,在这个前提下对故事负责任地去写作才会让作品变得有意思。  从一开始就决定好结局的小说不只会让读者觉得无趣,作者在创作的时候也很容

《阴阳师》系列文学作品我起笔于1988年,这么多年来有幸受到读者们的爱顾。一说起我来大多数人都会联想到《阴阳师》,但其实除了阴阳师之外我也写过许多其他的书,其中含括一些暴力文学或是格斗小说等等,但这些书里没有一本是以悲剧结尾的。我不喜欢悲伤的结局,特别是长篇小说,读者在看书时是带入情感去阅读的。花了这么多的时间去阅读去融入,结果最后是个悲伤的结局,我认为这不是大多数读者的心之所向。

易变得无聊。其实写小说最初只要设想好大概的故事,并且在一开始就给剧情加上几乎无法克服的大难题,朝着这些困难的设定义无反顾地前进,这样一种气势汹汹的写作一定会创作出有意思的作品。

《绳文时代》 指日本的旧石器时代末期至新石器时代,这一时期以绳文陶器的逐步使用为主要特征。

易变得无聊。其实写小说最初只要设想好大概的故事,并且在一开始就给剧情加上几乎无法克服的大难题,朝着这些困难的设定义无反顾地前进,这样一种气势汹汹的写作一定会创作出有意思的作品。

不去拒绝未知的事

小说家只要一休笔经常就会被宣传成江郎才尽,但我觉得对于真的决定一生都将持续创作的人来说,其实不用太在意这些一时性的创作低潮。创作低潮期肯定不会持续一生,最长也不过一两年。20多岁出道的小说家能持续创作50年的话,再回头来看创作低潮期不过是白驹过隙。亲人的离世或是爱人的离去等都有可能会成为暂时性创作力丧失的原因,但对于要创作一辈子的人来说,这些都只是一个短暂的过程,所以不要太过于去害怕这些低潮期。这一点不光是写小说,对于所有类型的创作其实都是一样的。

小说家要有善于感受乐趣的心。这是与生俱来的感性所决定的,所以言传身教非常困难。在写作时一定要打开自己的乐趣感知接收器灵感才会源源不断。想要拥有这种接收器必须有意识地去扩充自己的视野,不去抗拒任何未知的事物,让自己的意识始终处于一种灵动的状态是非常重要的。

绳文时代的历史非常有意思

最近我对于日本“绳文时代”十分感兴趣,想以此为灵感写一部小说。去年年底,我与考古学家冈村道雄的对谈集《绳文探险队的记录》被整理出版,书中我们从衣食住行和信仰等各方面出发讨论了绳文时代的人物与文化还有他们的生活。

今ぼくたちが日本人だな、と感じることのルーツの多くが縄文的なものだと思っています。闇の気配、自然を慈しむ気持ち、ものに魂が宿っていること。縄文人は文字を持っていなくて、それに代わるものとしては、縄文土器と土偶しかなかった。ただ土器の中に神話としか解釈できない文様が入っていたりします。彼らの痕跡は古事記、日本書紀、風土記に残っていて、その中で得体の知れない神様は、みんな縄文の神様。縄文の痕跡を頼りに、縄文人が信仰していた神様の物語を書きたいですね。渡り(行商人)がむらを巡り、行く先々で地域固有の神様に出会ってドラマが生まれる、という物語です。

我觉得现在有一些具有日本“特色”的东西大多是来自于绳文文化。例如日本人们常提到的比如昏暗的氛围、善待自然、万物皆有灵等等。绳文人并没有文字,取而代之的是绳文时代的陶器与陶偶。在这些陶器与陶偶上时常有一些无法理解的纹样,关于这些纹样,在《古事记》《日本书纪》《土风记》等日本的史书中都曾留有记录。在对于这些史书的研究中我们得知,这些没有正体的神明都是绳文时代所崇拜的神明。我想要基于这些绳文时代所留下的痕迹来创作一个关于绳文人所信仰的神明们的故事。故事主线大概是一位商旅人在巡游各地的村庄时,与当地固有的古老神明相遇,他们的相遇碰撞出来了一系列的火花。

私が大切にしている日本

1.敗者に対する尊敬の気持ち

日本には敗者に優しい文化があります。源義経は兄の頼朝によって殺されたと言ってもいい、不幸な死に方でした。でも人々は「判官贔屓」という義経に対するさまざまな優しい伝説を作ってきました。菅原道真もそうです。政治的な競争に負けて地方へ左遷されますが、「天神様」として蘇り、さらには学問の神様となって今でも人々の信仰の対象になっています。歴史上の人物には、このような事例が数多く存在します。現在では格闘技に顕著ですね。日本人は選手の出身国に関係なくフェアな見方を持っていて、敗者に対してリスペクトがあります。多くの外国人選手もそのような感想を言っています。日本では判定などでもほとんど不正がないし、頑張った人にご褒美をあげる国民性がある。これは日本の素晴らしい文化だと思います。

2.鮎

日本の「国魚」を設定するなら、迷わず「鮎」ですね。この魚はロシアや中国、韓国にも分布しますが、その数量、鮎のいる川の数、鮎の文化の発達などを考えると、日本中心となっている魚です。というのも、日本では、昔から鮎を食べたり、絵にしたり、鮎を愛でる文化があり、鮎の川への放流事業も日本が一番進んでいます。現状では、天然鮎は減って、日本の河川は養殖鮎でもっているといっても過言ではありません。ちょっと異常なくらいです。これは理想ですが、国が河川管理をしっかりして、鮎の産卵床を作ってあげ、そして今あるダムをなくせば、私の大好きな天然鮎は増えていくここと思います。鮎の魚影が見える川、それこそ日本的な風景と思うのですが。

3.マンガ

子どもの頃からの習慣で、今も続けているのがマンガを読むこと。当時は少女マンガを含めて絶対数が少なかったから、全部を読むことができたんです。今は例外を除いて、相対的にマンガが売れなくなっています。最盛期の半分以下でしょうか。それでもマンガがなくなることはないし、小説に比べれば高止まりです。このマンガや小説については、課金制の図書館を作る動きもあり、これも日本独自の文化であるマンガの将来像かもしれませんね。