落語が中心の寄席の演目のなかで、気分転換やアクセントとしてはさまれる奇術や曲芸などの色物。ハサミで紙を切って形をつくる紙切りもその一つ。江戸時代に、落語家の宴席などで隠し芸とし始まり、寄席の演目として発展したといわれています。他の伝統芸能と同様に高齢化が進む紙切りの世界に現れた、21歳の超若手芸人、林家喜之輔さんに、紙切り師になったきっかけや高座で考えていることなどを中心に、たっぷりと話を聞きました。

林家喜之輔(はやしや・きのすけ)

平成9(1997)年 東京生まれ、東京育ち。2014年10月 高校2年生で林家今丸に入門。2016年3月 卒業と同時に楽屋入り。2年の前座修業を経て、2018年3月に紙切り師としてデビュー。落語芸術協会会員。

出演予定情報は、落語芸術協会のHPをチェック

http://www.geikyo.com/profile/profile_detail.php?id=318

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就職したくない一心で、気づいたら紙切りの世界へ

紙切りは客からのリクエストに応えながら、動物やスポーツ、縁起物、アニメのキャラクターなどの多彩な形を、数十秒から数分程度の短い時間で切り出していきます。華麗なハサミさばきもさることながら、難しいお題を切り返す頓知や、切りながらも客を飽きさせないように続く話芸なども、観る人を楽しませます。客とのやり取りを中心につくり上げられる一期一会の高座は、寄席のなかでも演者と客の距離感が近く、ほのぼのとした温かさを感じさせるものです。そんな紙切りの世界に、昨年異色の新人が登場しました。2018年3月に若干20歳でデビューした林家喜之輔さんです。覇気あふれる芸人さんが多いなか、茶髪で着物を着こなし、肩の力が抜けた飄々とした雰囲気とぼくとつな語り口で展開する高座は、寄席の空気をがらりと変え、観る者を戸惑わせるとともに、なぜか心をつかみます。難しいお題が出た時には、悪びれもせず着物の袂からスマートフォンを取り出して検索する姿には、「それってアリなの?」と度肝を抜かれ、そんな様子がまた新鮮な笑いを誘うのです。

喜之輔さんがこの世界に入ったのは、父親である落語家の三遊亭右左喜さんから勧められたから。「高校卒業後に就職したくないというのが一番の理由。それを父親に話したら、現在の師匠の林家今丸に頼んでくれて、高校2年の秋に弟子入りしました。落語ではなく紙切りを選んだのは、演者が少なく競争率が低そうだから。できない可能性もあっただろうと思うのですが、やってみてできなかったら、その時考えようという感じで、気がついたら入門していました」と、どこか人事のように振り返ります。

下書きなどは一切なし。早ければ数10秒、長くても1〜2分ほどで、さまざまな形を切っていく

厳しい前座時代は、逃げ回ってやり過ごす

高校在学中は定期的に師匠のところに通い、課題をもらって自宅で自主練習。切ったものを添削してもらいながら、紙切りの基礎を身に付けました。そして、卒業式の次の日に楽屋入り。落語や他の色物のお弟子さんとともに、前座修業に励むことに。その間は休みはなしで、楽屋に張り付いて雑用や鳴り物、先輩たちのお世話などを担当し、寄席文化を学んでいきます。この期間は前座として高座にも上がりますが、紙切りを目指す前座は、一人前になるまで高座で紙切りをしないという慣習があり、喜之輔さんはひたすら落語をやっていたそうです。

「子どもの頃から工作は得意でしたね。紙切りの修業は、それほど苦労せずに楽しんでできたと思います。切って違うなと思ったところを修正して、また切って修正して、その繰り返しで、数を重ねていけばできるようになる。どうしても形にならなかったら、デフォルメの仕方を変えるとか、アレンジすることも大事かもしれません。楽屋での前座修業の日々は思い出したくない。怒られるのが嫌でひたすら逃げ回っていましたが、それで正解でしたね。着物はぎりぎり着られるけど、たためないくらいの状態で楽屋入りしました。2年前に決まっていたんだから、準備しとけよって話ですよね。僕が先輩の立場でも、そんな前座がいたら怒ります(笑)」。

終わったことには興味はないといった雰囲気で、修業時代の苦労について多くを語らない喜之輔さんですが、高校を卒業したてで飛び込んだ芸の世界には、あまたの厳しさや苦しさがあったはず。それを乗り越え、この若さでデビューを掴みとり、高座に上がるというのはそれほど簡単なことではなかっただろうと想像します。

切っている最中は真剣な表情も。時には無言で集中してしまうこともあるという。

コントロールできないから紙切りの高座は面白い

紙切りの高座では、わざと難題を出して、芸人がどう切り返すかを楽しむ通の客が多いのも特徴です。それが楽しくてしかたがないと喜之輔さんは話します。

「『さあて、ピンチだ』が毎回起きます。何が起きるか分からないし、どうなるか分からないけど、とりあえずやってみようという気持ちで高座に上がります。そして、コントロールできない状態になるのが、めちゃくちゃ楽しい。かなりアグレッシブに攻めてくるお客さまもいるので、こっちも『ようし、やってやるぞ!』となります」。

喜之輔さんの切り返しは、ぜひ高座で体験していただきたいのですが、なかなかの斜め上からで、茶目っ気のある天の邪鬼っぷりが楽しめます。

「今までの紙切りは、出たお題をそのままキレイに切る人がほとんどだったと思います。だから、僕一人くらい遊んでもいいのでは。どうしても切れないお題には、笑ってもらえる返しを用意しています。そっちに持っていくのが楽しくてワクワクしているんだと思います。それは、今までの紙切りの前例にはないふざけた内容の時もありますが、それでもセーフな空気になっているんです。王道ばかりじゃなく、まともに切らない紙切りがいてもいい。紙切り師としてスマホを出している時点でアウトだと思うんですけど、それでウケたらいいじゃんって。多分間違った方向には行っていると思います(笑)」。

足跡のない新雪を踏みながら進むように、誰も歩いていない脇道を思いっきり楽しんでいるといった様子の話しぶりです。

高座ではお客さまとのやり取りも見物。一緒に舞台をつくり上げていくのは、紙切りならでは。

怒られても楽しいほうがいい。やりたいことをやってみたい

カッコつけたり取り繕ったりすることなく、素のままで我が道をマイペースに歩いているように見える喜之輔さん。しかし、デビューからわずか1年で、これほどのオリジナリティを発揮できる舞台度胸はどこからくるのでしょうか。そこには前座時代から、高座で客と向き合いながら模索を続けた面白さへの追求があったようです。

「前座の2年間で落語をやった経験で、高座での空気のつかみ方やつくり方は、なんとなく身についた感があるかもしれません。前座ではお客さまをいじってはいけないし、習った通り崩さずやりなさいといわれるのですが、ただ落語をやってさらっと終わってしまうとつまらないと感じていたので、本当はやってはいけないのですが、若干崩しながら反応を探るということは、無意識にやっていたと思います。あまり難しく考えてしまうと、煮詰まって何もできなくなってしまう気がして、やってみてダメだと思ったら、やり方を変えたほうが早い。違うやり方でまた同じところに行き着いたら、もう一度やってみるとか、考える前に動いているタイプだと思います。高座の直前にインスピレーションで思いついたことをやって怒られたりすることもあるけど、今は怒られても楽しければいいから、やりたいと思ったことをやっていきたいです」

喜之輔さんの紙切り作品「お神輿」と「龍」。細部まで繊細に表現されている。
商売道具のハサミは、日本橋人形町で江戸時代から続く刃物の名店「うぶけや」の特注品

いずれは英語で紙切りを。寄席の魅力を世界へ

現在は、都内にある4つの寄席に定期的に出演しながら、イベントやワークショップなどにも積極的に参加しています。「将来のことはあまり考えていない」という喜之輔さんですが、半年ほど前から英会話教室に通い始めました。師匠の林家今丸さんは英語とフランス語を習得し、欧米、アジア、中東などさまざまな国で、紙切りの公演を続けています。弟子の喜之輔さんにも、世界へ出てほしいという思いは強いはず。喜之輔さんも、その思いに応える腹を決めたのです。

「中学の時は英語の成績で1を取ったこともある。紙切り師になれば英語をやらなくて済むだろうと思っていたけど、逃げ切れませんでした。でも、教室では先生とマンツーマンなので、英語が話せなくてもコミュニケーションを取らなくてはいけないから、英語と日本語を交えた全力のゼスチャーゲームが始まるんですよね。それが面白くて、今は英会話をものすごく楽しめていて、時間はかかりそうですけど、いずれは英語で高座をやっていると思います」

海外から日本を訪れる外国人は、2018年には年間3000万人を突破し、5年前の3倍に増えました。日本文化にも世界中から注目が集まっていますが、話芸である落語を中心とした寄席は、どうしても言語の敷居が高くなってしまいます。そんななか、紙切りや曲芸などの色物は、言葉の壁を越えて楽しめる演芸としての可能性は無限大。日本が誇る寄席の魅力を世界へ伝える一つのきっかけとして、喜之輔さんの英会話の上達にも期待がかかります。

「高座は楽しい。遊びに行く感覚とほとんど変わらないのにお金がもらえて、こんな嬉しいことはないです。でも毎日高座に上がっていると、少し飽きてくるような感じもあるから、どうしようかな? 次は何しましょうかね?」と喜之輔さん。驚くほど正直で飾らないその言葉は、何かやってくれるのではないかと感じさせてしまう。寄席を遊び場にする喜之輔さんの高座、ぜひ多くの人に体験してみていただければと思います。

浅草演芸ホール

萩本欽一やビートたけしなどを輩出した、お笑いの殿堂。鈴本演芸場(上野)、新宿末廣亭、池袋演芸場とならぶ、東京の「落語定席」の一つ。「落語定席」とは、1年365日、休まずいつでも落語の公演を行っている劇場のことで「寄席(よせ)」とも呼ばれる。昭和39(1964)年のオープン以来、10 日替わりで落語協会と落語芸術協会が交互に公演を行っている。落語のほかにも、漫才、漫談、コント、マジック、紙切り、曲芸、ものまねなど、バラエティーに富んだ番組を用意。昼の部と夜の部は、原則として入替えなし、好きな時間に訪れ、心ゆくまで「演芸」を楽しめる。通常大人2,800円、学生2,300円、子ども(4歳以上)1,500円(特別興行は価格が変更)で、18時以降は夜割りなどの割引もある。
住所:東京都台東区浅草1-43-12 (六区ブロードウエイ 商店街中央)  
TEL:03-3841-6545