日本の暮らしを支えてきた、ものを作る人たち。師匠から弟子へ綿々と受け継がれてきたわざは、その人たちの手に宿っています。永い歴史の中で一つの時代を担う、職人の手わざが生み出す仕事と、彼らが背負う思いをお伝えします。
今回は、大阪浪華錫器の今井逹昌さんです。
文 : 村田保子 Yasuko Murata / 写真 : 谷口哲 Akira Taniguchi
伝統工芸は止まったら終わり。時代に合った喜ばれる錫器を作る
融点が230℃と低く、やわらかな素材である錫(すず)で作られる器。錫器を手に取ると無垢の金属の重みと温かみが伝わります。熱伝導率が高く、熱燗は冷めにくく、冷酒はぬるくなりにくい。酒の味をまろやかにするともいわれています。磨けば美しく甦らせることもでき、一生使える器となりますが、手入れの仕方により白っぽく艶が出たり、黒っぽくなったり、経年変化が楽しめることも魅力。自分で育てていく楽しみは、本物を求める若い世代にも注目を集めています。
錫器は約1300年前に日本に伝わり、宮中の器や神社仏閣などの神器として使われてきました。江戸時代には庶民に広く普及。物流の中心であった大阪は、京都から職人が移り住んで、錫器の一大産地として発展しました。
しかし戦争で錫の入手が困難になり壊滅状態に。戦後はプラスチックが普及、影をひそめましたが、いくつかの事業所は再興し、今なお江戸から続く技術を受け継いでいます。その一つが伝統的工芸品「大阪浪華錫器」として指定を受けている大阪錫器。職人であり経営者でもある今井逹昌さんは言います。
「錫は製造の機械化が難しい金属で、今も全て手作業で作っています。うちは20代〜70代まで23人の職人で分業していますが、タンブラーや酒器はニーズが伸びていて、生産が追いつかないほどです」
錫の延べ棒を釜に入れて溶かし、型に流し込む「鋳込み」。ロクロを使って削ったり磨いたりして光沢を出す「ロクロ挽き」。地金(じきん)より低い温度で融ける蝋金(ろうがね)で、注ぎ口や持ち手を接合する「蝋付け」。ほかにも漆で彩色したり、絵付けしたり、表面に鎚(かなづち)で模様を付けたり、錫器の製造工程には独自の技が詰め込まれています。
熟練の職人でないと難しい技もあれば、新人でもできることもある。今井さんは若い職人にも、できることからどんどん仕事を与え、少しずつステップを上がるチャンスを用意します。だから若い職人が成長するスピードも速い。新卒採用にも積極的で、今年の春にも2名の新人職人を迎えると言います。
「ものづくりをしたいという若い子はたくさんいます。後継者が不足しているとはまったく感じません。社長の給料を若い職人に回せば育てられるはず。若者の感覚を取り入れれば、時代に合わせて新しいものを作っていくこともできる。時代に合ったものを作れば、需要が生まれ、伝統を次の代に引き継ぐこともできるのです」
今井さんは、つねに新しい技術や商品を開発することにも熱心に取り組んでいます。黒紫檀(くろしたん)や杉などの異素材と錫を組み合わせたり、象嵌(ぞうがん)や輪島塗の技法を取り入れたり、大胆なアイデアに挑むことも日常茶飯事。全国の錫器メーカーからの「こんな商品が作りたい」という声に技術支援で応え、錫器業界の活性化にも努めています。
「皆がびっくりするようなものを作るのが面白いんです。そんな環境なら従業員も仕事をしていて楽しいでしょう。伝統工芸は止まったら終わり。現状維持で何もしないことは後へ下がることです。小さなことでも少しずつ前に進めば、続けていくことができる。私たちは流れの中の一つの時代を預かっているのだから、自分の代で食い潰してはいけないと思っています」