深く繊細な風味、地域の風土を醸した味わいから、世界中の注目を集める日本の酒。
丹精込めて造られる酒には、造り手の熱い思いが込められ、それぞれに心動かされるストーリーがあります。
東京の下町にある小さな酒屋の店主が、上質な酒造りに励む蔵を訪ねるシリーズ。
第3回目は、琉球泡盛「春雨」で有名な沖縄県那覇市の「宮里酒造所」です。

那覇の雨、琉球の風。

沖縄・那覇空港から車で10分ほど、那覇市小禄の閑静な住宅地の狭間に、沖縄らしい琉球赤瓦の古い建物がある。琉球泡盛を造る宮里酒造の蒸溜所である。

戦後すぐに建てられたという木造平屋建ての町工場、入り口横には原料となる米が山と積まれ、隣には年季の入った赤錆をまとう麹ドラムが横たわる。軒が高く薄暗い建屋内には、磨き込まれたステンレス機器がところ狭しと並んでいる。

宮里酒造は琉球泡盛のメーカーだが、昭和21(1946)年にこの地に創業してから二代目・宮里武秀までは小売は行わず、他メーカーや酒造協同組合への桶売り販売のみを行っていた。

平成に変わる頃、現社長の三代目・宮里徹が蔵に入り、自社ブランドの販売に着手した。ただし、それは酒造りも流通も確立したからではなく、そうせざるを得ない外的要因も多かったのだ。

大事にしなければいけないもの。

泡盛は、原料に米を使用し、黒麹菌を用い、1回のみの全麹仕込みで、単式蒸留機で蒸留する、という4つの大きな特徴がある。また、原料には一部の銘柄を除きインディカ種のタイ米が使用される。ジャポニカ種に比べ硬質で粘りがなく、香りや味わいに泡盛独特の風味を醸す要因となっている。

泡盛の伝統とは何か? 泡盛に求められるものは何か?

大手の施設と同じものを小規模な酒造で造ろうとすれば、数倍もの価格になってしまう。そこに別の価値を見出すには、やはり磨き上げたもの、手のこんだもの、要するに考え抜いたものでなければならない。

宮里は足元を見据え、原料、設備機器全てに目を配り、醪(もろみ)造りからスタートした。その後、自社の状況に合わせて設備機器の考案・改良を行い、業者が受けてくれないものは全て自身の手で作成していく。こうして己の納得のいく調整により、生産量よりも酒質にこだわった、上品な香りとまろみのある味わいの泡盛が出来上がった。

平成12(2000)年、沖縄サミットが行われた。首里城内で催された晩餐会のための泡盛の選考会で、宮里の造った「春雨」は第1位となった。

宮里酒造の泡盛は「春雨」という名前で統一されている。

「春」は希望、「雨」は恵み。希望と恵みがこの地に再びもたらされることを願って名づけられたという。

「時代には、流れていいものと流れてはいけないもの、ふた通りあってもいいのかな、と思っているのです」と宮里は言う。

流れてはいけないもの、それに値する酒は「王道」がしっかりと残っていなければならず、それを復活させ、戻していくにはきっちりした背景と、この業界の強い意志が必要だ、とも語る。

宮里酒造の敷地内には大きなマンゴーの木が枝葉を広げ、那覇の夏日に木陰を作っている。戦争で沖縄は多くを失った。でも時は巡りまた次の季節がやって来る。

季節が巡れば実をつけるこの木のように、精魂込めた技と思いが結実し、確かなものとなって今後に伝えられて行くことだろう。


こだわり店主の、ここが聞きたい! 『酒造りにかける思い』

お話いただいた方:宮里酒造所 代表取締役 宮里 徹

聞き手:酒のこばやし 店主 小林 昭二

父の代から使う麹ドラムの前で。

小林:沖縄でも赤瓦の屋根の家は少なくなったそうですが、宮里酒造さんの沖縄らしい屋根を見るとほっとします。創業はいつですか?

宮里:戦後すぐです。混乱期に祖父が始め私が三代目になりますが、この場所や建物は父の代で作ったものです。この蒸溜所の基本になっているのは全て親父のアイデアで、例えばこの青いレール。親父が軽量鉄骨を1人で曲げて、ホイスト(ウィンチ)をぐるぐる回して1人で作業ができるように工夫していました。他にも、今でも使っているのがたくさんあります。親父なりの合理性の結果ですね。

宮里酒造所内部。自作の機器が並ぶ建物の梁には麹菌が住み着いている/右上。雨水を溜めて利用している米軍からの払い下げタンクの土台ブロックには戦中の銃弾の跡が残る/右下。

小林:徹さんは何年に蔵入りですか?

宮里:私は平成元年からですので、30年ほどになりますか。

小林:お父さんから引き継いだ頃は、それまでとは状況が変化した時期ですね。

宮里:父から「やってくれ」と頼まれて継ぐことになったのですが、ちょうどその頃は業界の変化が大きく、以前のままのやり方が維持できなくなっていました。そこで自社ブランドで売ることにしましたが、やってみれば一応酒はできても「うまい酒」はできない。試行錯誤を繰り返し、何年もかけてやっと専門家の先生も褒めてくれるような醪(もろみ)が出来上がりました。ところが、蒸留するとうまくいかない。そこで、今度は蒸留器に問題があるのかな、と考えた。

小林:先ほど見せていただいた蒸留器ですね。自作の「ワタリ」の話など、業界では有名です。

宮里:自分の理屈を立て、フリーハンドといいますか、素人ながらの設計をして、製造業者に作って欲しい、と依頼したんです。でも、めんどうくさいから嫌だと断られてしまいました。結局自分でやるしかなくて、自分で作りました。

小林:以前徹さんから聞いた話、今でも覚えています。問屋の役員に倉庫に連れていかれ「良い酒ってなんだ?」と問われ答えに困っていたら、売れずに積んである春雨を見せられて「『売れてる酒』が良い酒なんだ。お宅の泡盛は売れないじゃないか!」と、言われたそうですね。

宮里:確かに山積みになっていました。「良い酒は売れる」、それはもちろんその通りだと思います。私なりに良い酒だと思って商品化したわけですが、なかなかそれが通用しない。その大きな原因は「価格」だったのです。でもその値段設定は、小さい蔵で若い者にハッパをかけながら誠心誠意造ったもので、それだけは動かせない。そこで考えました。「この味ならこの価格」と納得していただかなければならない、と。

小林:それから始まって、醪の改革、蒸留器の改良につながって行ったんですね。

宮里:そうです、その時期ですね。それと、当時は「売っている場所」にあるのが流通だと思っていた。スーパーはもちろん、酒販店にもなかなか置いてもらえない、価格の問題も解決できないという状況でした。何にこだわり、何を大切にすべきかわからなかった。

小林:その頃に、あの歌ができたんですね。

宮里:「古くも 香りたかく 強くも まろやかに からくも 甘い酒 春雨」。当時はまだそんな酒質はできないのですが、それを目指そうと。私、「今日から」というのが好きなんです。「明日から」じゃない、決意した今日から、という時に作ったのがあの歌です。

小林:やっぱり「何くそっ!」という気がないとね。

宮里:挫けそうになったら、その晩はこの歌を思い出しながら、再度チャレンジしてきました。

後に続く人を育てる。

小林:宮国君、手登根(てどこん)君、玉城君は、蔵に入って何年ですか?

宮里:宮国と手登根は20数年、玉城が10年になります。

小林:立派な造り手に育っているようですね。もうすっかり徹さんの右腕になった?

宮里:アルバイトから蔵に残りたいって言った時には私もぶっ飛びましたけれど、一生懸命やっていてくれて。今や右腕どころか、取って代わってもいいのか、って思うほどです。また、長い間やってるのに、なあなあってことが全くない。きっちりやってくれるので、私は落ち着いて改良点などに集中できるようになった。

小林:その宮国君、今日は出張なんですね。彼に聞いた話だけど、入社して3年間は質問を受け付けなかったそうですね。

宮里:わからない時に説明しても、いろんなスパイラルというか、ドツボにハマっていくだけなので質問はなしにしてくれ、と言いました。その代わり、3年経ったらうまいメシ食いながらの質問の日を1日設ける、その時は何聞いてもいいからって。

小林:職人の世界ですから、最近のハラスメントを意識していくだけでは育ってこないだろうな、と思っていますよ。でも彼らはしっかり育ってくれましたね。本人は結構辛かったと思うけど。彼は3年過ぎたらその意味がわかった、と言ってた。

宮里:気の毒ではあったんですよ。私も辛い時期だったし。でも質問コーナーを明日やるから、明日までにまとめておいてね、と言ったら、質問ありませんっていう。じゃ、約束通りメシ食おうって。嬉しかったです。

新しいようで、古い問題。

小林:今、焼酎ブームは落ち着いた感がありますが、東京では沖縄や泡盛に注目が集まっていて、流れは少し変わってきていると感じています。今後の春雨はどんな方向へ行くのですか?

宮里:伝統は伝統で守り、時代に合った若い人たち、昔から飲んでくださっている人たち、それぞれにちゃんと合わせて行きたい。「おいしさ」というのは必須、そこに味わい深さというか、落ち着いて飲んだ時にわかる酒質の良さを考案して出して行きたいと思っています。

小林:やはり、徹さんは王道ですね。最近若い人たちのアルコール離れが言われ、業界が低アルコール化していっている感じがします。ハイボールが流行り、カクテルベースの飲み物などが若者受けしている。そうなると、ジンやウォッカとどこが違うの?ってことになる。

宮里:そうですね、いまだからこそ王道というか、泡盛の醍醐味を提案しないと忘れ去られていく。低アルコール商品は必要だとは思うのですが、それだけだと泡盛でなくていいし、焼酎でなくていい、ってことになりかねないので。その後ろに控えるものを造りたい。

小林:まさにそうです。それとね、量産できない規模の小さな蔵がその土俵で戦おうとするのはどうかと思う。そこは大手に任しておいて、やっぱり小さな蔵でしかできないような本物の造りを追求していっていただきたい、と思います。

宮里:やはり歴史の中で、いい時代も悪い時代も経験しながら残ってきた、というのには理由があると思います。やはり、長期的には人間はそんなに変わらないはずですから。

泡盛の持つ意味。

宮里:泡盛の使命は2つあるんです。まず1つ目が労働酒という位置付け。泡盛も焼酎の一種ですから「いろんなことがあったけど、今日が無事に終わったので乾杯して楽しもうよ!」っていうもの。農作業が終わったとか豊年祭とかね。もう1つは「ステイタス」という面。それは何かというと「私にはこういう酒がある」というもの。「我が家にはこのお酒があります」という、自慢ですね。これは例えば首里の王朝の頃も、それぞれの家にあった、それが泡盛なのです。戦争の前は那覇の港や首里の旧家には100年とか200年の古酒があったけど、あれだけの戦争で何も残らなかった、という事情があります。

小林:泡盛、特に古酒は沖縄の歴史そのものかもしれませんね。

宮里:それと、泡盛の目的というか、どうやって飲んでいたか、どういう価値を見出してきたのか、それに対応するものをずっと残していく。そして、できれば次の世代にきっちり伝えていくっていうのが私の役割かな、と思っているのです。

小林:さすが、泡盛業界をひっぱるリーダーですね。今後も期待しています。

左から、宮里 徹、小林 昭二、玉城 陽介、手登根 真也(敬称略)。

宮里酒造所

沖縄県那覇市小禄645
TEL:098-857-3065