深く繊細な風味、地域の風土を醸した味わいから、世界中の注目を集める日本の酒。丹精込めて造られる酒には、造り手の熱い思いが込められ、それぞれに心動かされるストーリーがあります。
東京の下町にある小さな酒屋の店主が、上質な酒造りに励む蔵を訪ねるシリーズ。
第1回目は、鹿児島県垂水市の「農業法人 八千代伝酒造」です。

鹿児島空港から九州自動車道を南下し、時おり桜島の姿を右手に仰ぎ見ながら錦江湾の東側を進む。幹線道路から山深い道に入り、程なく進むと手入れの行きとどいた美しい小道に入る。降りしきる雨の中、たどり着いた建物の前で数人の男たちが笑顔で出迎えてくれた。

「まずは蒸留所を」と向かった先は、赤い暖簾に酒林が下がる大きな建屋。内部に入ると、柱のない広大な空間いっぱいに磨き込まれた板張りの床が広がり、陶製の甕が規則正しく並んでいる。

ここが南九州・鹿児島垂水にある八千代伝酒造自慢のカメつぼ仕込みの現場である。

一度、閉じた蔵。

1928(昭和3)年、初代八木栄吉が八木合名会社を設立、焼酎蔵八千代醸造元にて芋焼酎「八千代」の製造を開始した。多くの蔵人を抱え隆盛を見たが、創業50年を目前にして焼酎業を休業する。廃業ではなく、自社での焼酎製造を休止したのだ。1976(昭和51)年のことであった。

幼い頃から蔵の活気に慣れ親しんでいた三代目八木栄壽は、蔵の復活を己の人生の目標と定めた。

蔵休業から約30年後の2004(平成16)年、折しも空前の芋焼酎ブームが到来した時期に、莫大な借金をして新たに猿ヶ城渓谷蒸溜所を設立。同年12月には創業時の「八千代」を伝承するという意で名付けた「復刻 八千代伝」を初蔵出し、焼酎蔵再興の夢を果たす。

その道のりは平坦ではなかったが、多くの人の協力と自身の情熱で、夢は現実となっていった。次男・大次郎が、高校卒業を前に「お父さんと一緒に、焼酎造りをしたい」といってきた。縁あって、名工杜氏とうたわれる吉行正巳(よけ・まさみ)氏がきてくれることになり、大次郎は杜氏としての修行に乗り出す。

大学生の長男・健太郎も参加し、親子が3本の矢となった。

芋栽培からの焼酎造り。

芋焼酎は、サツマイモを主原料とする。

ジャガイモなどに比べ、サツマイモは長期保存ができない作物である。芋の鮮度が良いほど上質な焼酎ができるといわれている。そのため、傷みや変色のある芋が混入するとすぐ酒質に影響が出てしまうのだ。

新鮮で高品質な芋を入手しようとしても、農作物には波があり、後発の小さな蔵にはなかなか思うように供給されない。満足できる原料を手に入れるにはどうしたらいいのか?

答えは「自分で作ること」だった。

2009(平成21)年、健太郎が主体となって原料芋の自社栽培に着手する。とはいえ、芋は農作物である。酒造りと同じ、長年の経験と確かな技術がものをいう。植えて収穫するまで結果は見えず、失敗すればまた翌年のチャレンジとなる。

酒造りの作業の合間に畑を開墾し、苗を植え、育て、雑草を刈り、収穫する。試行錯誤を繰り返しつつ、一歩一歩満足できる芋づくりを試みていった。

2018(平成30)年、農地所有適格法人として農業法人となった。酒造としては国内唯一である。

現在、原料芋の収穫量は約200トン超、この蔵の焼酎生産量の約95%にあたる。今秋には100%が自社栽培となる予定だ。小さな畑から始まった自社農園は10ヘクタールの面積にまで広がった。

伝統を守り、変化を恐れず。

朝掘った芋をすぐさま加工場に持ち込む。

自慢の芋は形が整い溝が少なく、土はすぐ落ちて洗浄に時間がかからない。蔓と尻尾を少し落とすだけでほとんどロスがないという。

「焼酎は蒸留酒ですが、うちの場合はワイン造りに似ていると思います」と健太郎は語る。確かに、ぶどうの栽培から醸造までを行うワイン生産者「ドメーヌ」である。

2016年から展開する“Moon”シリーズ「つるし八千代伝」は、収穫後生芋のまま2カ月間吊るしてデンプン糖化を促した糖蜜芋「つるし芋」で仕込んだもの。また、同“Moon”シリーズの“Crio(クリオ)”は、生芋を1カ月半、極低温の氷結冷蔵で熟成させる「氷結芋仕込み」。

「芋蒸し機から蜜が大量に溢れてくるんです」という、これらの新しい焼酎のイメージは、貴腐ワイン、アイスワインか。

2018年2月に発売された農業法人記念ボトル“Luther(ルター)”は、八千代伝の活動をテーマにした Farmer’s bottleシリーズの第1弾。「たとえ明日世界が滅亡しようとも今日私はリンゴの木を植える」と言葉を残した宗教改革者・思想家のマルティン・ルターを酒名とした。農業を始めた2009年度製の古酒と、農業法人元年・2017年度新酒をブレンドし「8年間の歩みを表現した」という。

第2弾”Mahler(マーラー)”は「伝統とは灰を崇拝することではなく、炎を絶やさないことである」、20世紀初頭にオーストリア、ウィーンで活躍した作曲家・指揮者のグスタフ・マーラーの言葉から命名。全量自家栽培のベニハルカで造られているが、これは減農薬、除草剤・殺虫剤不使用の特定栽培である。

霧が辺りをしっとりと包む。桜島の麓、緑濃い薩摩の自然林に囲まれて建つ美しい蔵で、父の「復刻 八千代伝」を基盤に、息子たちの新たなる挑戦は続く。


こだわり店主の、ここが聞きたい! 『酒造りにかける思い』

お話いただいた方:農業法人 八千代伝酒造株式会社(代表取締役会長・八木 栄壽 代表取締役社長・八木 健太郎 取締役杜氏・八木 大次郎)

聞き手:酒のこばやし 店主 小林 昭二 (敬称略)


小林:お父さんが蔵を再興されるに至ったご苦労は、並大抵ではなかったですね。私の店にも、初蔵出しの八千代伝と一緒にこの冊子(現会長・栄壽氏が蔵再興までの思いを綴った『行ってこい 八千代伝』)が送られてきましたので拝見しました。

栄壽:そうですね。私はこれを読むと今でも涙が出ます。多くの人に助けられました。

小林:今はこうして息子さん二人が中心になって頑張ってくれている。大次郎くんは高校を卒業してすぐ、蔵に入ったんだよね?

大次郎:はい、吉行(よけ)杜氏にご指導いただきました。

小林:そして、半年後に、健太郎くんが大学を中退して合流した。

健太郎:僕が蔵に戻った時は、資金面などは父が頑張ってくれていましたが、ほかにもやらなきゃならないことが山積みでした。造るのも手探りだし、造ったものをどう流通させたらいいのかも全くわからない。当時は全国の酒販店さんを巡って、いろいろなことを教えてもらいました。

板張りに陶製の甕が並ぶ美しい蔵内部で、製造行程を聞く。

小林:でも、お父さんが再興した後、なぜ「農業」だったの?

健太郎:原料の芋は、通常生産農家さんから仕入れるのですが、実は後発メーカーにはいい芋が回ってこないのです。農家さんに得意先が4社あれば4番目、仕方がないことですが、残りものになってしまう。時間が経てば芋が悪くなることも当時はわからなかった。なので、芋を作ってみようか、と。

小林:原料からとなると、時間がいくらあっても足りないと思う。蔵人たちにはどうやって納得してもらったの?

健太郎:始めの4年間は失敗だらけでした。20名を超える人を雇い、焼酎を造らないときに芋を作るので、忙しくて畑に手が回らず、ダメになったり連作障害をおこしたり。従業員は続かずやめて行くし。

酵母については、さまざまな試みを行なっている。

小林:それで、鹿児島大学の大学院に行ったんだよね。何を勉強したの?

健太郎:農業と酵母ですね。焼酎酵母の分離とか。

小林:それで、今も酵母については独自の考えがあるわけだ。それと、バイオ苗に注目していたよね。今作っているのは全部バイオ苗?

健太郎:バイオ苗というと、なんか科学的に作られたものみたいですが、ウイルスフリー苗のことなんです。前年収穫した良質な芋の成長点から無菌状態で培養した苗のことです。種芋の苗に比べて非常にコストがかかりますが、病気などが発生しにくいので安定した収量が見込めます。

焼酎製造と芋作りは同時進行で行なっている。面積は毎年増加中。

小林:でも、焼酎造って、農業やって、会社をうまく回すってかなり大変なんじゃないかな。

健太郎:そうですね。まずは、全部を見直しコストカットできるところは徹底的に行いました。単純作業は動線を工夫する、外注はできるだけ省く、などです。雇用人数を半分にし、少ない人数で会社としての技能を上げることに注力しました。結果、時間もできたし、休みも倍ぐらいになった。今はシフト制を取るのは仕込みの時だけです。

小林:八木くんの芋はスゴイって評判だよ。去年は天候不順で芋の仕入れに苦労して、製造制限した蔵も多かったけど。

健太郎:それはなかったのでラッキーでした。それと、畑の中でいろいろ考えるのが性に合っているみたいです。机の上で考えると煮詰まっちゃって。

麹室(黄麹専用)/上と、熟成庫に並ぶ甕/下

健太郎:食用の芋が置いておくと甘くなる、というところに目をつけました。お酒の原料ではブドウと芋くらいじゃないかな。ただし、初年度は全部腐らせてしまいました。今は熟成の成功率が99.5%です。

小林:すごい。熟成芋は八木くんの財産になったね。今後この業界は熟成芋戦争になると思う。みんなが注目していますよ。頑張ってください。

猿ヶ城渓谷蒸溜所上棟の記念板の前で。左から、八木栄壽、小林昭二、八木健太郎、八木大次郎

農業法人 八千代伝酒造株式会社 猿ヶ城渓谷蒸溜所

鹿児島県垂水市新御堂鍋ケ久保1332-5 TEL 0994-32-8282

ホームページ☞  http://yachiyoden.jp/