深く繊細な風味、地域の風土を醸した味わいから、世界中の注目を集める日本の酒。
丹精込めて造られる酒には、造り手の熱い思いが込められ、それぞれに心動かされるストーリーがあります。
東京の下町にある小さな酒屋の店主が、上質な酒造りに励む蔵を訪ねるシリーズ。
第4回目は、沖縄県うるま市の「神村酒造」です。

 失われた時をつなぐ。

うっすらと琥珀色を帯び、ほのかに漂う木の香。これが泡盛?

神村酒造の代表銘柄「暖流」は、ウイスキーの製造時に使用するオーク樽で貯蔵・熟成された泡盛の古酒をブレンドして造られているという。どんな経緯で、このような泡盛を造ることになったのか? 沖縄県うるま市にある神村酒造を訪ねた。

那覇より沖縄自動車道を北上すること約30分、高速を下り県道6号沿いを行くと「神村酒造」の看板が見えてくる。広大な敷地の門を入ると、正面には甕とシーサーが出迎える白いスッキリとした大きな建屋があり、左手にはガジュマルの向こうに洒落たカフェのようなウッドテラスのある建物が見える。神村酒造の酒造所と直売所「古酒蔵(くーすーぐら)」である。

長く那覇・首里城近くに酒造所を構えていたが、平成11(1999)年、より良き環境を求めて、沖縄本島中部の緑豊かなこの地に移転したのだという。

泡盛よ、ふたたび。

琉球文化の基礎が築かれた時代に、東南アジアから伝来した蒸留酒の製造法が起源といわれる泡盛。王朝時代は首里城周辺で、王府の名を受けた蔵だけが造ることを許された貴重な酒だった。

神村酒造は、創業者・神村盛真により首里城にほど近い那覇市繁多川で、明治15(1882)年に酒造りを開始、「神村・守禮・スリースター」の銘柄で親しまれていた。しかし、第二次世界大戦で沖縄は焦土と化し、神村酒造も工場設備、貯蔵していた泡盛の全てを失う。戦後の昭和24(1949)年、当時官営5工場の一つとなっていた神村酒造は3代目・神村盛英の下、那覇市松川にて民営企業としての再スタートを切った。

食料すら不足する時代のこと、原料もままならないなかで10年ほど経ち、ようやくある程度の品質の泡盛ができるようになる。しかしこの時代、ウイスキーなど洋酒の普及から人々の嗜好は一変していた。泡盛は忘れられた存在になりつつあった。

神村盛英は考えた。なぜ今、ウイスキーが好まれるのか?

そこで出た結論は「飲まれているウイスキーと、飲ませたい泡盛の良さを兼ね備えた泡盛」を造ることだった。

「先ずは飲んでもらいたい。飲んで、泡盛という郷土を思い出して欲しい」との強い思いで樽貯蔵泡盛の研究に着手、開発を続けた。そして昭和43(1968)年、ついにオーク樽熟成古酒「暖流」が誕生する。モルトウイスキーのような香り、コメ特有の甘みと優しさ。狙い通りウイスキー好きも唸らせた「暖流」は、泡盛の業界に新風を吹かせ、その可能性を広げたのだ。

「暖流」のラベルには琉球の船・進貢舟が描かれている。進貢舟とは、対中国交易のために作られた琉球王国の官船である。当時の人はこの進貢舟に乗り、黒潮・暖流の荒波を越えて大陸へ渡った。「暖流」は、先人たちへの敬意と感謝、チャレンジ精神を引き継ぐ、琉球人の思いのこもった酒なのである。

こだわり店主の、ここが聞きたい! 『酒造りにかける思い』

お話いただいた方:神村酒造 代表取締役専務  中里 迅志
聞き手:酒のこばやし 店主 小林 昭二

小林:神村酒造さんでは、最近古酒造りに力を入れていると聞きましたが。

中里:すごく意識はしています。ただ、現代のメーカーがどこまで古酒を造っていくかは課題があります。僕は最大20年までかなあ、と思っています。

小林:20年? 沖縄では「100年古酒」というものがクローズアップされてるように思いましたが。消費者レベルの楽しみ、ということ?

中里:要するに、メーカーとして商品化できるものという意味です。古酒にするために残したいのですが、残した分だけ資産があるという状態になる。なので、3年から5年で出せるようにして、それから残った分を10年、15年、20年という形にしていけたら、と思っています。

壊滅状態となった泡盛産業。

小林:なるほど。さて、神村酒造といえば、樽に入れた泡盛造りの先駆けで「暖流」がその代表ですね。それが九州にも飛び、麦焼酎や米焼酎でも樽を使う蔵が増えた。でも、樽を使うことになったきっかけは?

中里:商品化から遡ること10年前の昭和33(1958)年、沖縄がまだ占領下にあった頃に着手しました。当時は古酒はおろか、おいしい泡盛なんて1滴も残っていない。自然と沖縄の酒好きはビールやウイスキーっていう世界でした。国や県は政策的に泡盛を造ってくれ、と言うので造るんです。造るんですけど売れない。そういう苦しい時代の中で、いまの社長の祖父、3代目ですが、悔しいけど飲まれているウイスキーと、飲ませたい泡盛の橋渡し的な酒を作ってみよう、と。それが元々の考え方です。

小林:ウイスキーのシェアを取ろうと?

中里:そういう気持ちもあるんですけど、それ以上に泡盛を飲んでもらいたいというとこがあって。

小林:それでウイスキーのオーク樽を使うことを考えたわけか。今も酒造所にたくさんの樽が並んでますね。結構古そうだ。

中里:いまでも新樽は使わないです。新しい樽ではエキス分がすごく出てしまい、泡盛からかけ離れた商品になっていく。

小林:最長で、なん年くらい寝かしてるの?

中里:樽の中では3年から5年ですね。

小林:樽ものって10年すぎると、なんかエグくなるような気がする。

中里:それはあるかもしれません。実際、甕やステンレスなどでの熟成であれば長くてもいいんですが、樽の場合は長期間置くと酒が変わってしまう。樽の香りと泡盛の熟成の香りとがうまくバランスが取れなければならない。樽の良さが出るのは3年から5年ですね。そして、55%が樽酒、残り45%は透明な泡盛を使う、というのが「暖流」のポジションです。

小林:樽ものを造っている蔵で光量の話が出ると、光量規制(*)を撤廃してほしい、ってよく言われるけど、これについてはどう思う?

中里:何をどう造りたいか、じゃないですか? 僕は泡盛を造っていくのであれば、全然今のままでいいです。色や香りがついたものを泡盛って名乗りたいか、って言えば、そういう気持ちは全くなくて、もう別のもの。頭を切り替えて商品化していかなければならないと思う。でも、僕らは泡盛を飲んでもらいたいから暖流が生まれたと思っているので、基本的に樽で熟成させた100%のものを商品化していくっていうのはちょっと意味合いが違う、と思ってるんです。

小林:そうだね、大手はいろいろ技術を持っていて、そういうこともわりと簡単にうまくできてしまう。小さいところが手間暇かけてきちんと作っても大して変わらないじゃないか、ってことになっちゃうかも。冷静に考えたほうがいい。

中里:「暖流」は入口になりますが、その先はやはり古酒の「守禮」です。日頃みんなでワイワイ飲むのは「暖流」なんですが、人生の節目や記念日、なんていう特別のときは、やはり伝統的な泡盛なんです。長い歴史のあるお酒には勝てない。だから、その位置関係もちゃんとわかった上で、「暖流」を造っていこうと、と思います。

*光量規制=焼酎類の着色に対して設けられる酒税法の規制

日々の暮らしの中で泡盛を飲んでもらうために。

小林:最近、泡盛を広めようと精力的に全国を周っているようですが、手応えは?

神村:飲食店さんや小林さんのような酒販店さんにお会いした時に感じますね。僕らを代弁して飲ませてくれていますので。でも、全国的に見たら、やはり泡盛ってまだ全然飲んでもらってない。知られていないんです。認知されてる、と思ってるのは僕らこの業界の勘違い、シェア見てわかるとおりです。

小林:でも、「臭い酒」ってのは払拭されてきましたよね。

中里:そうですね。でも「臭いから買う」って人もいますからね。とんがってるほうがいいのかなあ、と思うときもあります。それより何より、一番は泡盛を飲んでもらっていない、僕らが説明もしていない、語ってもいない。だから、それを自分ら自身がなんとかするしかない、と思っています。

小林:今後の課題でもあるわけだね。

中里:九州の芋焼酎を頑張って売ってきた人たちっていうのは、自分たちの想いやそのお酒の良さをいっぱい伝えてきたからこそ、売り上げを伸ばせるようになった、と思うんです。それらをいい例として、僕らなりのやり方でやっていかなければと思います。

小林:この直売所もおしゃれで明るくて感じがいい。

中里:この店を構えたのも泡盛のことをよく知らない方が多いので、うちが門を広げてお客様に直接きてもらえるような場所を作って、きちんと理解してもらわなければならないと思って。入口に立ってもらえないと入ってきてくれないですから。

小林:見学者も多いようですね。今日もこれから団体さんがくるとか?

中里:今は年間8000人ぐらいで、口コミで訪ねてくる人が多いんです。興味を持ってくれている、ってことですね。なので、工場でもパネルの前で説明したり、ビデオを流して工程を説明したり、質問に答えたりしています。ここまできて、飲んで美味しいねって言って、買ってくれる。ありがたい話です。

小林:でも、若い人を中心に酒を飲む人口が減ってる。今は会社の上司が飲みに行くぞ!といえばアルハラと言われる時代ですからね。

中里:僕らが若い頃は語ったり、歌ったり踊ったり、そういった楽しいことの中心にお酒があった。今はスマホで済んじゃって、リアルなコミュニケーションが乏しくなってますよね。だから飲食店さんとかで、全然利害関係のない人が集まって、酒飲みながらコミュニティができたりするのはいいなあって思います。

小林:本当に。でも、今の沖縄は以前来た時よりパワーを感じますよ。

中里:泡盛はまだまだやることがあります。小さな島だからこそ、泡盛の持つ産業としての位置はすごく大事だと思うんです。いいお酒を作って沖縄に還元したいと思います。

小林:頑張ってください、応援してます。

右から、神村酒造代表取締役専務・中里 迅志、酒のこばやし・小林 昭二、専務夫人・中里 陽子(敬称略)

神村酒造

沖縄県うるま市石川嘉手苅570   TEL:098-964-7628