日本では、古くから身近にある自然素材を利用して、日常生活の中で使われる多様な工芸品を生み出してきました。それらは、先人たちの巧みな技と知恵を使い手作りされたもので、その地域や気候風土に合った暮らしに密着する、欠くことのできないものでした。しかし、現代社会における生活様式の合理化や、安価な化学素材の利用が進み、多くが使われなくなり衰退してきています。
そこで国は「伝統的工芸品産業の振興に関する法律(伝産法)」を定め、主として日常生活で使われるもの、製造過程の主要部分が手作り、伝統的技術または技法によって製造、原材料は伝統的に使用されてきたもの、一定の地域で産業として成立している、といった条件を満たしたものを「伝統的工芸品」として指定し、支援しています。

九州・沖縄地方の特徴

異国の影響を受けた南国の工芸品。

古くから大陸などの異国文化の影響を受けてきた九州。特に焼物に関しては、豊臣秀吉による朝鮮派兵がきっかけとなり、大陸から招いた陶工たちによって九州各地に窯元が開かれることになります。そして沖縄においては、東南アジアからの文化も交わり、特徴ある意匠、デザインをもった独自の工芸品が生み出されています。

福岡

博多織(はかたおり)/久留米絣(くるめがすり)/小石原焼(こいしわらやき)/上野焼(あがのやき)/八女福島仏壇(やめふくしまぶつだん)/博多人形(はかたにんぎょう)/八女提灯(やめちょうちん)

鎌倉時代に中国から織物技術が伝わったとされる博多織は、平織と紋織があり特有の光沢を帯びる。久留米絣は江戸後期、一人の少女の考案に始まり、その後技法が開発され普及した。小石原焼と上野焼の始まりは江戸前期。金箔をふんだんに施した、豪華な作りが特徴の八女福島仏壇が確立されたのは江戸後期とされている。博多人形は江戸初期に始まる粘土製の彩色人形で、八女提灯の起源は江戸後期、筑後和紙に山水や草木、花鳥を描いて涼感を演出する。

博多織 写真提供:福岡県

佐賀

伊万里・有田焼(いまり・ありたやき)/唐津焼(からつやき)

伊万里・有田焼は、1616(元和2)年に朝鮮から渡って来た李参平によって日本で初めて磁器を製作したのが始まりとされる。17 世紀からは欧州など諸外国への輸出が始まり、柿右衛門様式や古伊万里様式の磁器は、その美しさでヨーロッパの人々を魅了しその名を高めた。唐津焼もほぼ同時期に始まり、土の味わいと素朴な作風、閑雅な趣が茶人の間で好評を博し各地に広まった。

唐津焼 写真提供:佐賀県産業労働部経営支援課

長崎

三川内焼(みかわちやき)/波佐見焼(はさみやき)/長崎べっこう(ながさきべっこう)

三川内焼、波佐見焼ともに朝鮮から渡来した陶工によって江戸時代前期に開窯したもので、どちらも白磁に呉須(ごす)の青で絵柄を付けたあざやかな意匠が特徴。三川内焼は平戸藩の御用窯として栄え、高級品として海外の王侯貴族にも愛された。波佐見焼は日常食器が多く作られ「くらわんか碗」としても知られている。長崎べっこうは江戸時代に長崎に技術が伝えられ、緻密で精巧な技法で髪飾り等の小物だけでなく、宝船等の大物製品を生み出している。

三川内焼 写真提供:長崎県産業労働部企業振興課

熊本

小代焼(しょうだいやき)/天草陶磁器(あまくさとうじき)/肥後象がん(ひごぞうがん)/山鹿灯籠(やまがとうろう)

小代焼は肥後藩御用窯として始まり、鉄分の多い小代粘土を使った素朴で力強い風合いをもつ。天草陶磁器は地元で採れる良質な陶石を使い、海鼠釉(なまこゆう)や黒釉(こくゆう)などを使った個性的な作品が多い。肥後象がんは武具に始まり、装身具や装飾品、日常生活の変化に対応した製品が作られている。山鹿灯籠は和紙と糊だけで立体構造に組み上げる工芸品で、その繊細優雅さは紙工芸の極致とまでいわれている。

肥後象がん 写真提供:熊本県観光物産課

大分

別府竹細工(べっぷたけざいく)

始まりは室町時代とされており、江戸時代に別府温泉の湯治客が使う台所用品が土産として持ち帰られ、全国に知られるようになる。マダケを主原料に緻密に編み上げられた製品は台所用品からバッグ、インテリア用品など幅広く製作されている。

別府竹細工(幸竹斎 作) 写真提供:別府竹細工伝統産業会館

宮崎

本場大島紬(ほんばおおしまつむぎ)※鹿児島県の本場大島紬と重複/都城大弓(みやこのじょうだいきゅう)

本場大島紬は、古くから養蚕が盛んだった奄美大島で作られていたものが鹿児島、宮﨑に伝わった。泥染めなどによる繊細な絣模様が特徴。都城大弓の製造方法は江戸時代初期に確立されたといわれ、地元で豊富にとれる間だけマダケとハゼを原料として作られている。現在でもわが国で唯一の産地として、竹弓の9割を生産している。

都城大弓 写真提供:宮崎県観光経済交流局

鹿児島

薩摩焼(さつまやき)/川辺仏壇(かわなべぶつだん)/本場大島紬(ほんばおおしまつむぎ)※宮崎県の本場大島紬と重複

淡い黄色の地に無色の釉薬が掛かった白薩摩と、黒釉、褐釉など各種の色釉をかけて仕上げた黒薩摩がある薩摩焼は、安土桃山時代末に朝鮮の陶工により始まった。1867年(慶応3年)には、島津藩が薩摩焼をパリ万博に出品し、ヨーロッパの人々を魅了して「SATSUMA」の名を広めている。800年余りの歴史があるとされる川辺仏壇は、天然本黒漆塗りをほどこしたあとに純金箔を押して仕上げる、豪華さと堅牢さをあわせもっている。

薩摩焼 写真提供:鹿児島県PR・観光戦略部

沖縄

久米島紬(くめじまつむぎ)/宮古上布 (みやこじょうふ)/読谷山花織(よみたんざんはなおり)/読谷山ミンサー(よみたんざんみんさー)/琉球絣(りゅうきゅうがすり)/首里織(しゅりおり)/与那国織(よなぐにおり)/喜如嘉の芭蕉布(きじょかのばしょうふ)/八重山ミンサー(やえやまみんさー)/八重山上布(やえやまじょうふ)/琉球びんがた(りゅうきゅうびんがた)/壺屋焼(つぼややき)/琉球漆器(りゅうきゅうしっきり)/知花花織(ちばなはなおり)/南風原花織(はえばるはなおり)

沖縄地方の織物の起源は多くが14〜16世紀。琉球びんがたは型紙1枚で文様を染め分ける文様染め。喜如嘉の芭蕉布は13世紀以前に始まり、糸芭蕉の繊維で織り上げて夏衣などに。宮古上布の起源は16世紀、絣模様が精緻で絹のようになめらかな麻織物。琉球漆器の始まりは14世紀、朱色や黒い漆を用いた花塗りで作られている。特に朱の鮮やかな美しさや黒塗りのコントラストの大胆さは、ほかでは見られない味わいをもつ。300年余りの歴史のある壺屋焼は上焼と荒焼に大別され、素朴さと力強さに特徴がある。

首里織 写真提供:那覇伝統織物事業協同組合