連綿と受け継がれた高い技術に、世界中から称賛される日本の伝統工芸。日本各地の「手しごと」を知り、実際に触れることで、その歴史的背景や郷土の心を感じてみませんか。
今回は、加藤清正の時代から受け継がれてきたという熊本の肥後象嵌です。

肥後武士のダンディズム

刀のつばにまで象嵌を施させた武家たちのこだわりを垣間見る光助の伝統的な作品と、
きらびやかななかにも気品さを感じさせる精緻な浮き彫りが見事な帯留め

象嵌は、金や銀などで象った紋様を、金属や陶磁器、木材などの素地に嵌め込んだ工芸品です。発祥の地は中東シリアのダマスカス。ヨーロッパに広がった象嵌の技法はやがて、シルクロードを経てアジアに伝わり、日本へは仏教の伝来とともに、大陸から伝わったとされています。以来、仏像や仏具だけでなく、刀の拵えや甲冑などの武具の装飾に用いられるようになりました。いち早く象嵌の技術を確立した京都では、江戸時代になると、優れた職人を数多く輩出し、やがてその技術が全国に広がっていきました。

今回、制作の体験をしたのが、「京象嵌」「加賀象嵌」と並び、日本三大象嵌のひとつに数えられている「肥後象嵌」です。「隆盛を誇った京象嵌は一時衰退し、明治時代に熊本の技術を入れて復活したんですよ」と教えてくれたのは、少しでも多くの人に、肥後象嵌の価値を知ってもらいたいと、制作の合間に体験教室を主宰している大住裕司さんです。大住さんは江戸時代から400年続く肥後象嵌の老舗「光助」四代目を継承した象嵌師。大住家ももとは京の出だと話してくれました。

肥後象嵌は、近江の国から呼び寄せた鍛冶師が、鉄砲に象嵌を施したことにはじまり、その技術は熊本城の築城とともに確立していきます。ときの藩主・加藤清正は著名な名工を手厚く庇護したそうです。やがて刀のつばや小柄などにも独特の意匠が施され、肥後の武家の美学が培われていきました。

「肥後象嵌には武士のダンディズムが表れていました。明治の廃刀令によって、刀などへの装飾は減りましたが、本来、武家文化を象徴する装飾だったのです」

肥後象嵌やってみました

そんな伝統技法で象嵌したのは、なんと、熊本県のゆるキャラ「くまモン」。タガネを使って縦横にヤスリ状の細かい布目を刻んだ鉄の地金に、「くまモン」の表情をつくる金銀をはめ込む工程を体験します。ミリ単位で切り出されたパーツをピンセットで並べるときの緊張感、パーツが動かないように打ち込むときの力加減、すべてが新鮮で、夢中になってしまいます。短い時間ながら、伝統に裏打ちされた繊細な技術の奥深さを、十二分に体感したのでした。

くまモンのほっぺは直径約2ミリ。肉眼では見えないほど細かく布目が刻まれた生地に、ピンセットでセットする
真っ直ぐに、強からず弱からずの力で打ってくださいと言われるが、それがなかなか難しい
今度はくまモンの目。左右の目の高さをそろえるのも、なかなか難しい。指先に神経を集中させて位置を固定する
強く打ち過ぎればパーツが伸びたり、シワが寄ったりするので、気を付けながらトントンし、何とか打ち込みを完了
象嵌したあとは生地の布目を削ってツルツルにする
世界にひとつしかない「くまモン」の象嵌

株式会社光助 肥後象嵌

江戸時代から続く肥後象嵌の老舗。現・屋号での創業は明治7年。
伝統的な紋様と現代的な意匠を調和させた商品を幅広く製造販売している。
〒860-0004 熊本県熊本市中央区新町3丁目2−1
https://mitsusuke.com

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