シルクロードと言うと、多くの人は広大なユーラシア大陸の東西を結んだ交易路を思い浮かべることでしょう。かつて中国で生産された絹製品は、その価値の高さから遙かローマまで多くに人々の手で運ばれていました。
絹にまつわる品々が盛んに行き来した道は、実は日本国内にもありました。その中心地のひとつが信濃国という旧国名にちなんで、いまも信州と呼ばれる長野県です。海から遠く、気候の冷涼な信州はとても養蚕に適した土地だったのです。
いまも長野県内には蚕糸業にまつわる数多くの施設が残っています。それらと観光スポットを合わせ、魅力的な旅のルートに仕上げたのが「信州シルク回廊」なのです。

人々の暮らしと日本の近代化を支えたカイコ

蚕(カイコ)を飼育して、その繭から生糸を紡ぐ技術が日本に伝わったのは紀元前200年頃のことと考えられています。その後、8世紀には各地で養蚕が行われるようになり、絹製品は主に税として朝廷に納められていました。

ただし当時の日本の生糸は品質が低く、高級な着物の原料には中国産の生糸をわざわざ輸入して使っていたほどです。そんな日本の生糸の品質が向上していったのは17世紀以降のことでした。そして、19世紀後半に武家政権による鎖国政策が終わり、近代国家の元で外国貿易が盛んになると、それから80年近くにわたり生糸は日本の最大の輸出品であり続けました。

信州の蚕糸業は地域の人々の暮らしを支えたばかりでなく、貴重な外貨をもたらし、日本の近代化にも大きく貢献してきたのです。

蚕が作る繭の糸を何本か集めて一本の糸にしたのが生糸。これが高級なシルク製品の原料になります。
生糸に精錬や撚糸といった工程を施し、染色したものが一般的な絹織物の原料として用いられます。

庶民の着物として人気を集めた上田紬

生糸の需要は世界大恐慌や化学繊維の普及をきっかけに激減し、残念なことに信州の蚕糸業も1930年頃から一気に衰退していきました。そんななか、昔ながらの伝統を現代まで伝えている絹製品のひとつが上田紬です。

一般的な絹織物と上田紬を始めとする紬織物には、原料となる繭に大きな違いがあります。高価な着物などに用いられる絹織物が生糸だけから作られるのに対して、紬織物は生糸を作るのに適さない屑繭をまず真綿にし、それを紡いだ糸で織っていきます。一般的な絹織物の魅力のひとつはきらびやかな光沢です。一方、上田紬も絹100%の製品だけに、着心地や肌触りの良さは絹織物に遜色なく、さらに軽くて丈夫という特徴もあります。

なみに上田で紬が作られるようになったのは今から約400年ほど前のことで、当時は身分により着る物にもさまざまな決まり事がありました。そして、屑繭を原料とする上田紬は、武士や公家などしか許されなかった絹の着物とは違うものと認識されたため、庶民の間で大いに人気を集めていくことになったのでした。

上田紬では経糸に生糸、緯糸に紬糸を使い、その色の組み合わせによって自由自在な色柄を作り出してゆきます。
生糸に適さない屑繭から真綿を作り、それを撚って糸にしたのが紬糸。かつて紬作りは養蚕農家の副業にもなっていました。

上田紬の伝統を今に伝える藤本つむぎ工房

長野県東部の上田市では古くから蚕種(蚕の卵)の生産が盛んで、その副産物である出殻繭(サナギが蛾になって抜け出した繭)を原料にして、良質な紬織物が作られてきました。今回訪ねた藤本つむぎ工房も、その始祖は今から350年あまり前にこの地方で初めて蚕種の製造販売を行った藤本善右衛門という人物にまで遡ります。

上田紬はおもに経糸(たていと)に生糸を、緯糸(よこいと)に紬糸を用い、その組み合わせを変えることで多彩な柄や模様を生み出していきます。先代から上田紬の伝統を受け継いできた当主の佐藤元政さんは、その魅力を次のように語っていました。

「色にしても、柄にしても、糸使いにしても、上田紬には特に決まったルールはありません。私たちが何より心がけているのは、紬糸を使って時代のニーズに合った、質の高い製品を作り続けていくことです。そんな意味では、江戸時代の昔から常に変わり続けてきたことが上田紬の伝統と言えるかもしれませんね」

藤本つむぎ工房のショールームには、着物の材料となる反物ばかりでなく、洋服地やショール、バッグや帽子など、さまざまな商品が並んでいます。また、その一角では機織り体験もできるようになっているので、ぜひチャレンジしてみるといいでしょう。

高価な絹織物のようなきらびやかさはないものの、紬織物は絹100%ならではの美しさや肌触り、軽さや丈夫さを兼ね備えています。
藤本つむぎ工房のショールームには紬の生地だけではなく、バッグや帽子などさまざまな製品が並んでいます。

*上田市常田2-27-17/℡0268-22-0900/10~17時/不定休

事前に予約をしておけば藤本つむぎ工房では機織りの体験も可能。所要時間90分、費用2,500円(織り糸代・指導料込み)で世界にたったひとつのオリジナル上田紬を織り上げることができます。

<INFORMATION>

重要文化財 常田館製糸場
(じゅうぶんときだかんせいしじょう)
明治33年(1900年)の創業から100年近くにわたり生糸を生産してきた工場。湯で煮て柔らかくした繭から生糸を紡ぎ出す繰糸棟など15棟が現存していて、そのうち7棟は国の重要文化財に指定されています。3月下旬から11月末まで見学可能(期間中無休)ですが、団体での来場は事前予約が必要となります。
*入館無料/10:00~15:30(入館受付)/℡0268-26-7005/上田市常田1-10-3

UPmoat
(あっぷもーと)
個性的な喫茶店が数多く点在する上田市中心部。このアップモートは地元の人や観光客で賑わう海野町商店街の交流拠点にもなっているカフェバーです。そんなアップモートで近ごろ人気を集めているのがランチメニューの上田味噌おでん定食(900円~)。地元・山辺麹店の味噌を使ってアレンジした優しい味が魅力となっています。
*11:30~22:00(週末は~24:00)/火曜定休/℡080-7317-0904/上田市中央2-9-19

北国街道 海野宿
(ほっこくかいどう・うんのじゅく)
海野宿は1625年に開設された北国街道の宿場町。19世紀後半に宿場としての役割は終えましたが、その後、宿屋の2階が養蚕場として長く利用されてきました。街道脇を流れる用水路や格子戸の美しい建物が魅力で、「日本の道百選」や「重要伝統的建造物群保存地区」にも指定されています。
*海野宿資料館/入館料200円(12月21日~2月末は休館)/℡0268-64-1000/東御市本海野1098

道の駅 雷電くるみの里
(みちのえきらいでんくるみのさと)

東信エリアを抜けていく快走路「浅間サンライン」沿いにある道の駅。東御市は信濃くるみの特産地、18~19世紀に大活躍した伝説の力士・雷電の生家も近いことから、この駅名が付きました。施設内には農産物直売所や食事処のほか、雷電資料館もあります。
* ℡0268-63-0963/東御市滋野乙4524-1

国宝 大法寺三重塔
(こくほうだいほうじさんじゅうのとう)
上田市の西に広がる青木村は養蚕がとても盛んだった土地で、かつては村中に桑畑が広がっていました。そんな人口4000人弱の静かな村にあって、東日本屈指の美しい塔と評されているのが国宝大法寺三重塔です。1333年建立と伝わる塔は純和様の建築様式で、三層の屋根が安定して広がる美しい姿は、参拝者が帰り道に何度も振り返ることから、「見返りの塔」とも呼ばれてきました。
*拝観料300円/9~17時(冬季は~16時)/℡0268-49-2256/小県郡青木村当郷2052

小諸城址 懐古園
(こもろじょうしかいこえん)
ときおり噴煙を上げる活火山・浅間山の南麓に広がる小諸市は、江戸時代に城下町そして北国街道の要衝として発展した町で、その城跡は懐古園として整備されています。「日本百名城」「日本さくら名所百選」にも選ばれている懐古園の園内には、動物園や遊園地、資料館や美術館、飲食施設などがあるので、子どもからお年寄りまで四季を通じて楽しむことができます。
*散策券300円/9~17時/℡0267-22-0296/小諸市丁311

<信州シルク回廊の楽しみ方>
信州シルクロード連携協議会のホームページ(https://shinshu-silkroad.jp/)では、個人・グループ旅行向けと団体旅行向けのモデルコースを東北信/中南信エリアごとに各6コース紹介しています。どれも魅力あふれるスポットを巡るコース設定となっているので、ぜひ旅計画を立てる時の参考にしてください。また、かつて生糸の輸出時に高品質の証として付けられた「生糸商標」がコレクションカードとして復活。信州各地の観光案内所や見学施設などで配布しているので(数に限りがあるため無くなり次第終了)、これを集めながらシルクゆかりの地を周遊してみるのも楽しいでしょう。