新形コロナウイルスの感染拡大が止まらない。この大パンデミクスを前に、人々は、改めて自らの無力さを思い知らされる。
ここでは、前回に引き続いて、狼信仰と疫病について考察したい。

昔は本気で狼の効力を信じていた

SNSでは、半人半魚の「アマビエ」なる妖怪(預言獣)が話題になった。疫病退散にご利益があるという「アマビエ」の力を借りようということで、多くの絵が投稿された。疫病の流行時には、昔も今も、このように疫病除けの物もいっしょに流行るようで、狼信仰もその中のひとつだが、ただし、昔は本気で狼の効力を信じていただろうから、今の「アマビエ」流行と、深刻さの点では違うかもしれないが。

「アマビエ」が 新形コロナウイルスを防いでくれるとはだれも思ってないが、災害の時だからこそ面白がれる余裕を持つことは悪いことではないと思う。流行り物は、この難局を乗り切ろうとする庶民の連帯感の表明でもあるだろう。

前回(狼信仰11回「 狼信仰と疫病 」)は、コレラなどの疫病と狼信仰(主に三峯信仰)について書いた。→ https://manabi-japan.jp/culture/20200205_18395/

その中で、岡山県高梁市の木野山神社についても少し触れたが、今回は、その木野山神社の狼さま(狼さん)について、詳しくみていこうと思う。

木野山神社は、古くから流行病に対する霊験あらたかだった

JR伯備線・木野山駅の近く、岡山県高梁市の木野山神社を参拝した。北に中国山脈が連なり、南に高梁市街が広がる景勝の地、木野山山頂には奥宮、山麓には里宮があり、昔から「木野山さん」と親しまれてきた神社だ。

里宮の拝殿の「御塩 御酒 御餅 供え所」には、たくさんの塩が奉納されている。狼の伝承の中には、「狼は塩好き」という話がたくさん出てくる。送り狼に塩を与えて帰ってもらうとか、狼が獲って食べ残したもの(イヌオトシ)を頂戴するときにも塩をお礼に置いたとか・・・。

社務所で狼像の入ったお札をいただいた。向かい合っている狼の絵だが、姿自体はかなり写実的だ。聞けばここでは狼を、東日本で呼んでいる「お犬さま」ではなく、木野山の神使として「狼さま」「狼さん」と呼んでいるそうだ。

木野山神社も秩父の三峯神社のように、狼信仰の神社なのだ。古くから流行病、精神病に対する霊験あらたかで、江戸後期から明治中期にかけて、コレラや腸チフスなどの疫病が流行した時に、病気を退治するものとして「狼さま」が信仰された。今でも、岡山県内にはいくつもの木野山神社の分社が鎮座するが、コレラ平癒を祈願して勧請されたものだという。

ガラスがはめ込まれた格子状の隋神門 の左右には、1対の「あ」「うん」の狼の木像が座っている。彩色された狼像は疫病を防いでくれそうな気迫感じる姿だ。

元々、狐憑きと言われた精神病について、狼は重要な存在だった。狐憑きの狐の大敵が狼だからだ。これは関東でも同じように狐憑きを治すために狼の遺骸が用いられた。

木野山山頂の末社に高龗神(たかおかみのかみ)・闇龗神(くらおかみのかみ)が祀られているが、それも龍の姿ではなく 狼の姿だそうで、かつてはここに参籠所があって、多くの狐憑きの患者が宿泊し、加持祈祷が行われていたという。

狼は虎よりも強し

明治12年に、コレラが初夏から秋にかけて大流行している。岡山県では、患者9,084人、死者4,949人に達した。各地に患者を隔離するための施設「避病院」が設けられたが、「患者やその家族は、避病院へ隔離されることを嫌い、病者の発生を隠したり、病院への収容に反抗し、警察官の説諭でやむな く収容させるという有様であった」「まだ科学的な防疫法が徹底しておらず、一般住民は薬品より「まじない」や祈祷に頼る状態であった」(篠原勇造「essay岡山あれこれ」より)という。

コレラを「虎列刺」と表記したことから「狼は虎よりも強い」という理由で、狼信仰(木野山信仰)が山陽山陰四国地方に拡大していった。木野山神社にはコレラを免れようとする人々が昼夜の別なく参拝したとのこと。

また明治19年には、コレラによって12年に次ぐ多くの死者をだした。木野山神社の神輿を担いでコレラ退散を祈願することが流行ったが、県は、多数参拝することは、かえって病気を蔓延させるとして、多人数で同社を参拝することを禁じる布達まで出している。

島根県(現島根・鳥取県)でも木野山神社の狼信仰が急速に広がったのは、明治12年のコレラの流行があったからという。松江市史講座「伝染病の大流行と信仰」(喜多村 理子)によると、次のような経過をたどっている。

6月17日夜、加賀浦の女性が発症、19日死亡。
6月21日、県内陸海要衝の35カ所に検察所を設置。
6月24日、取締委員に管轄の町村を巡視して説諭することを求める。 清掃すること、吐瀉物や排泄物は人家離隔の土地に埋めること、 死者が出た時は医師診断書を添えて速やかに郡役所と警察署に 届けること等々。 
7月8日、「虎列刺病予防及消毒法心得」を配布。
7月12日、コレラ患者を運ぶ所(人家隔絶の空き家・寺院・掘立小屋)を避病院と呼び、黄色に「コレラ」と黒記した旗を立てる。患者・死者を運ぶ時は黄色の小旗に「コレラ」と黒記する。

8月から9月にかけては、「検疫法」「群集停止」が実施されるなど対策が打たれた。昔も今も感染症対策は同じところがある。避病院と呼ばれた隔離施設を作ったり、人々の接触を避けるために「群衆停止」を行なったりしている。これらが解除されたのは1か月~2か月後だった。

この年の島根県内のコレラ患者は3317人で、死者2149人を出した。致死率は約64.8%だった。鳥取市街は「其残酷ヲ極ル」 だったという。

目に見えないコレラ菌によって病気に罹り、次々に人が死んでいく異様さを目の当たりにして、科学的知識に乏しかった人々が、その原因を虎のような姿の怪物や憑き物だと妄想し、虎はやはり異国の動物だったので、それを退治してくれるのは日本の最強の動物「狼さん」しかいないと思うことは、自然だったのだろう。しかも「狼さん」は、昔から狐憑きにも効果があると信じられていたことがベースとしてあったことも大きかったろう。

狼の「強さ」に対するイメージが狐憑きやコレラに効くというイメージと重なるのはわかるような気がする。なにもこれは日本だけではなかった。北欧神話では、戦士たちが、戦場におもむく前、狼の血を飲み、肉を食べ、皮をかぶって狼そのものになったという。 中世ヨーロッパでは、狼の爪・歯・毛皮を護符として用いたり、肝臓の粉末を病気や怪我の薬、あるいは精力剤としていたという。

形は違っても狼信仰は西洋にもあった。地域に関係なく、狼に対して人間が持つ普遍的なイメージなのかもしれない。

<参考文献>

・岡山県記録資料叢書14 岡山県明治前期資料 五(十八~二十年)(岡山県立記録資料館)より)→ http://archives.pref.okayama.jp/pdf/kanko_sosyo14.pdf

・篠原勇造「essay岡山あれこれ」→ https://www.jdpa.gr.jp/siryou_html/32html/32_essay12.pdf

・近代日本精神医療史研究会「ぼっけえ、きょうてえ岡山県の精神医療史―木野山神社調査 → http://kenkyukaiblog.jugem.jp/?eid=414

  ・喜多村理子「松江市史講座 伝染病の大流行と信仰」→ http://www1.city.matsue.shimane.jp/bunka/matsueshishi/kouza26.data/kouza25-7kitamura.pdf