日本一の妖怪コレクターとして知られる民俗学者の湯本豪一さん。この春、約5,000点におよぶコレクションを集めた「湯本豪一記念 日本妖怪博物館(三次もののけミュージアム)」が開館します。場所は江戸時代から妖怪物語が伝わる広島県三次市。長い歳月をかけて収集されたコレクションを、良い形で後世へ伝えたいという湯本さんの想いが一つの形になります。そんな湯本さんに、知らず知らずのうちに生活に深く根付き、時代をこえて連綿と受け継がれている日本の妖怪文化とその魅力についてお聞きしました。

湯本豪一(ゆもと・ごういち)

1950年 東京都墨田区生まれ。妖怪研究・蒐集家。1977年 法政大学大学院(日本史学)修士課程修了。川崎市市民ミュージアム学芸員、学芸室長などを経て、妖怪研究・蒐集をしながら、大学で妖怪などについて講義や企画展の監修などに携わる。『かわいい妖怪画』(東京美術)、『百鬼夜行絵巻』(小学館)、『江戸の妖怪絵巻』(光文社新書)、『今昔妖怪大鑑』(パイ インターナショナル)、『妖怪百物語絵巻』『続妖怪図巻』『怪異妖怪資料集成』(以上、国書刊行会)、『日本幻獣図説』(河出書房新社)など著書多数。

コレクションで見えてくる妖怪文化の広がり

妖怪と聞くと、恐ろしいとか不気味といったイメージをもつ人が多いと思いますが、実は、かわいらしかったりユニークだったり、愛嬌がある妖怪も数多くいます。私が最初に妖怪に興味をもったのも、そんな意外性に惹かれたところがあります。妖怪に関する資料を集め、調べていくうちに、日本に伝わる妖怪文化には大きな広がりがあることに気付きました。それまでの研究は、存在が確認されている絵巻や錦絵などの資料をもとに、論証していくことが基本でした。しかし、それだけでは、妖怪文化の大きな広がりは把握できない。研究と並行して、妖怪にまつわるものを発掘したり収集したりすることが非常に重要だと考え、コレクションをするようになったのです。

下膨れの愛らしいキャラクターが人気の「人面草紙」。湯本さんの著書『妖怪絵草紙 湯本豪一コレクション』(パイ インターナショナル)でたっぷり紹介されている。「湯本豪一記念 日本妖怪博物館蔵」
きびだんごではなく栗と芋を持って鬼退治に。おならで妖怪を退治するという、ユニークな世界観が描かれた「神農鬼が島退治絵巻」。退治される妖怪たちも愛嬌がある。「湯本豪一記念 日本妖怪博物館蔵」

木版印刷の発展とともに、妖怪が友達のような存在に

歴史的に見ると、妖怪が恐ろしいだけではなく、かわいいものとしても描かれるようになったのは江戸時代です。それ以前は絵巻に描かれる程度だったものが、着物の柄になったり、根付になったり、子どもが遊ぶすごろくやかるたにも描かれ、生活のなかに入り込んでくるようになる。

そういったものをコレクションすることによって、恐ろしいものから身近なものへと広がっていた日本の妖怪文化の全体像を把握することできます。恐ろしいと感じていたら、根付にしたりすごろくに描いて遊ぼうとは思わず、むしろ遠ざけますよね。そうではなく、仲間のような友達のような存在として、妖怪は江戸の人々に受け入れられていました。 

江戸時代に妖怪が身近なキャラクターのような存在になった理由には、木版印刷の普及があります。それまで絵画などは、絵巻のように一枚ずつ手描きされたものしかなく、とても高価で庶民は購入することができませんでしたが、木版印刷が普及したことにより、誰もが楽しめるようになりました。妖怪が描かれた絵巻や物語なども、この恩恵を受けて一般の人々に広く伝わり、畏怖する存在という古くからの考えの呪縛から解き放たれていったのだと思います。

江戸から明治にかけて妖怪をモチーフにした根付が人気に。「魚をつかむ河童根付」(左)と「人魚根付(右)」。「湯本豪一記念 日本妖怪博物館蔵」
着物や帯など、身に付けるものにもたくさんの妖怪たちが描かれた。「茨木童子図名古屋帯」。「湯本豪一記念 日本妖怪博物館蔵」

現代に花開く妖怪ブームは、連綿と受け継がれる妖怪文化の証

江戸時代に妖怪が身近な存在になったことは事実ですが、それは妖怪にアプローチする一つのツールを手に入れたということであって、決してオセロのようにすべてが黒から白に変わったわけではありません。古来からの畏怖する存在という感覚も同時並行的にもちながら、それは起っていった。

百物語(怖い話を順番にしながらろうそくを消していき、最後のろうそくが消えた時に怪異が起こるという怪談会)がブームになる一方で、妖怪のすごろくで遊ぶという両極端な妖怪のとらえ方がされていたのです。私たちはこのことを意識していませんが、実はこの多面的な妖怪のとらえ方は、現代まで息づいています。夏になるとテレビで怪奇ものの特集を観て恐怖を感じながらも、スマートフォンには妖怪のキャラクターのストラップを付けているということは、現在もよくあるでしょう。

また、日本で育ったり暮らしたりしていれば、カッパという妖怪のイメージは誰でも知っていると思いますが、ほとんどの人はカッパのことを学校や親から教わったのではなく、いつの間にか共通認識として知っていたという感覚ではないでしょうか。このように、普段は意識しないところで、妖怪文化は江戸から現代まで切り離されることなく、連綿と多面的に受け継がれてきています。

このような土壌があったからこそ、妖怪ブームの先駆けと言われるような、水木しげるや京極夏彦などの作品が現代に花開いたのだと私は考えています。アニメ「妖怪ウォッチ」などに代表される子どもの妖怪ブームも、その一つの現象なのでしょう。これらの作品は現代のものなので、同じ時代のなかでは客観的な視点で見ることはできません。きっと数百年後には時代のフィルターを経て、妖怪文化の流れの中に位置づけられ、客観的視点で語られるようになることでしょう。

ランプ、唐傘、洋傘、人力車など、どんなものも魂をもつと妖怪になって、イキイキと動き出す。器物系は妖怪の一大ジャンル。写真は「大新板ばけものずくし」。「湯本豪一記念 日本妖怪博物館蔵」
すごろくやかるたなど、子どものおもちゃに描かれる妖怪。昔も今も妖怪たちは子どもの心を掴んで放さない。写真は「百種怪談妖物双六」。「湯本豪一記念 日本妖怪博物館蔵」

妖怪の魅力を多面的に伝え、後世へと良い形で受け継ぐ

妖怪が描かれた絵巻で最古といわれているものは、室町時代に描かれた「百鬼夜行絵巻」です。この絵巻で描かれた妖怪はその後も描き継がれ、妖怪文化に大きな影響を与えました。これが妖怪研究のスタートになる資料ともいえます。しかし、最古というには、妖怪だけが描かれていることと、現存していることという2つの条件が付きます。それ以前にも、「土蜘蛛草紙」や「酒呑童子絵巻」では、源頼光が土蜘蛛や酒呑童子という妖怪を退治するというストーリーのなかで、妖怪が描かれています。妖怪がテーマではなく、源頼光の武将としての強さや勇猛果敢さを伝えることが主題になっているのです。

「湯本豪一記念 日本妖怪博物館(三次もののけミュージアム)」では、「百鬼夜行絵巻」を始めとした古くから伝わる絵巻から、着物、根付、子どものおもちゃなど、あらゆるジャンルの妖怪コレクションを、企画展という形でテーマに合わせて展示していきます。

博物館なので、ものを展示して観ていただくことが一つの大きな役割になりますが、実はビジュアルとして残っているものというのは、妖怪の世界のごく一部にすぎません。もともとは誰かが不気味なものを見たなどの体験があり、それが噂話になり、言い伝えとして残っていき、最終形としてビジュアルになって絵巻などとして残っているのです。一つの絵巻の背景には、数百倍もの失われていった怪異がある。そう考えると妖怪の世界はとても奥深いものになります。開館後は年間4回ほど企画展を展開し、いろいろな切り口で、そういった妖怪の魅力をさまざまな角度からお伝えしていければと考えています。

私は30年以上かけて個人的にコレクションを収集してきました。古書店、美術商、骨董商など、いろいろな方との関係性のなかで見つけたり紹介されたりして、実現したものです。さらには私の活動が知られるようになると、発掘前の資料などの情報提供をいただくことも増え、コレクションが充実していきました。これを三次市に寄贈し、博物館として一つの形にすることで、後世に残していきたいという想いがあります。私はこれらの資料は後世の人たちから預かっているものだと考えています。だから、未来へできるだけ良い形で返さなくてはいけない。展示して多くの方に観ていただくことはもちろんなのですが、それだけではなく保存や補修、さらなる調査や研究、資料のデータベース化など、博物館活動をしっかりと展開する拠点にしていきたいと考えています。

江戸時代に描かれた「百鬼夜行絵巻」。室町時代に描かれた最古のものは、京都大徳寺の塔頭・真珠庵に所蔵されている。「湯本豪一記念 日本妖怪博物館蔵」