日本最大級の大きさと重さを誇る島根県の出雲大社・神楽殿の大しめ縄。 地元で採れた稲わらを使い、全て手作業で作り続ける 島根県飯南町の人たちを訪ねました。
文 : 村田保子 Yasuko Murata / 写真 : 谷口哲 Akira Taniguchi
Keyword : 出雲大社 / 島根県飯南町 / 大注連縄 / 飯南町注連縄企業組合
しめ縄作りの技術と伝統を受け継ぐ飯南町の人々
出雲大社の神楽殿のしめ縄は、長さ5m、太さ最大6.5m、重さ4.4tという日本最大級の大きさで、 とても迫力があります。このしめ縄を作っているのは、出雲大社から 50kmほど離れた飯南町(いいなんちょう)に住む人々です。 昭和30年代、出雲大社の分院が飯南町にあったことが縁で、大しめ縄の 制作を担うことになりました。
昭和56年 (1981)に新しい神楽殿が竣工したときに、これまでにな いような巨大なしめ縄がほしいとい う依頼を受け、日本最大級のしめ縄が生まれました。それ以来、飯南町注連縄(しめなわ)企業組合(前・飯南町注連縄クラブ)がこの活動を受け継ぎ、約6年ごとに新しいものを作って奉納 しています。取材時(2016年)の神楽殿に付けられているしめ縄は、平成の大遷宮に合わせて平成 (2012)年に奉納したものです。
飯南町は中国山地の山間部にあり、 昔から稲作が盛んな地域です。地元の田んぼで採れる稲を、天日干しで乾燥させ、しめ縄の材料となる稲わらを作ります。
「昔から各地の神社のしめ縄は、氏 子(神社の氏神を祭る人々または氏神が守護する地域に住む人々)たちが作って奉納するものでした。米作りの過程で出る稲わらを材料に、地域の人々が一丸となって作るのが当たり前だったのです」
そう話すのは、飯南町注連縄企業組合の棟梁の石橋真治さん。農家が 少なくなり、地域の絆が薄れてしまった現在では、全国的にしめ縄の作り手が不足しているといいます。しめ縄作りの伝統と技術を受け継ぐ飯南町は、その文化を伝えていくため、 平成 (2014)年に拠点となる「飯南町大しめなわ創作館」を開館。出雲大社だけではなく、全国各地の神社のしめ縄を制作しています。
「どこに頼んだらいいか分からない と困っていた宮司さんが、飯南町ま で訪ねてきて、私たちが制作を引き 受けることを約束すると、安心して 帰られます。求められている方が多 いので、できるだけ期待にお応えし ていきたいと思っています」
一発勝負の大撚り合わせは、 人が一丸となる人力作業
神社に張られるしめ縄は、神様を祀るための神聖な場所であることを示し、神様の領域と現世を隔てる役目を果たします。ぶら下がっているわらの房は「しめのこ」と呼ばれ、雨の恵みを意味し、白い紙でできたしで 紙垂は雷を表現。わらで作ることで豊作への願いも込められています。
「生活に使う縄などは通常、作業がしやすい右撚(みぎより)で作ります。一方、神社で使うしめ縄は左撚(ひだりより)です。その世界を分けるという畏敬の念が込 められているのだと思います」
小さなしめ縄にも、決まりごとや それぞれの神社の伝統、こだわりな どがあるため、材料や作り方、デザ インなどは、その都度石橋さんが中 心となって決めていきます。出雲大 社の日本最大級の大しめ縄ともなれ ば、制作も困難を極めます。
「1本2トンのわら束を撚り合わせ るのは人力で、 人くらいで力を合 わせて行います。やり直しができな い一発勝負で、真ん中を太くし、左 右のバランスを整え、ぴったりの寸 法に仕上げなければなりません。図 面やマニュアルはありませんから、 高いところから見ながら経験を頼り に指示を出していきます」
わら束を包むコモと呼ばれる外側 の部分も、全て手作業で編んでいき ますが、目がそろった美しいコモを 編むためには、数字ではわり出せな い、熟練の技が必要だと言います。 「普段のしめ縄作りは高齢者が中心 ですが、出雲大社の大しめ縄を作る ときは、地域の若い人たちにもでき るだけ声を掛けて参加してもらうよ うにしています。実際に手を動かす と、醍醐味を感じ興味を持ってくれ ることも多い。6年に1度の掛け替 えの機会を生かし、少しずつ若い人 へ技術を伝えていければと思ってい ます」。
<出雲大社・神楽殿の大しめ縄の奉納>
60年ぶりの遷宮の前年、平成24(2012)年に掛け替えられた出雲大社の神楽殿の大しめ縄。 稲の田植えからおよそ1 年半かかったという制作の様子です。