岐阜と富山の県境を形成する山並みの裾野に広がる茅葺き屋根の農村風景。この地方特有の合掌造りの民家がよく残り、昔ながらの山里の暮らしを今に伝える貴重な文化遺産として、1995年に三つの集落が世界遺産に登録されました。

豪雪と峻険な山々に閉ざされた落人伝説の里

飛騨山中に源を発し、北流して日本海に流れ込む庄川流域に点在する合掌造り集落。世界遺産登録されたのは、流域上流に位置する岐阜県白川村の荻町、その少し下流、富山県南砺市の菅沼と相倉(あいのくら)の三つの集落で、何棟もの家屋がまとまって残り、いずれも良好な状態で維持されていることが評価されました。

登録名称の白川郷と五箇山(ごかやま)はそれぞれの地域の通称で、前者は白川村を中心とするその一帯、後者は旧平村や上平村(かみたいらむら)など流域の五つの集落を総称した呼び方です。いずれも冬には大量の雪に見舞われ、夏でも周囲を取り巻く高く険しい山々に外界との交流を阻まれたことから、平家落人伝説も語られています。

合掌造りの起源については定かではありませんが、江戸時代中期には原型ができていたと考えられています。最盛期とされる明治中期で2000棟弱、その後、ダム建設などが始まるにつれ次々と姿を消し、今では白川郷の荻町集落で59棟、五箇山の菅沼集落で9棟、相倉集落で29棟を数えるにすぎません。白川郷と五箇山の合掌造りでは、出入り口の取り方や屋根の煙抜きの有無などに若干の違いが見られますが、どっしりとした外観、機能的な屋内の空間構成などはほとんど変わりません。

合掌造り家屋は住まいとともに生産の場

床面積が広く多層構造の合掌造りはこの地方特有の大家族制度の名残です。 耕作地に乏しい山あいでは相続による土地の細分化を避けるために、次男以下の分家は許されませんでした。そのため一つ屋根の下に家長を中心に大人数での暮らしを余儀なくされ、家屋の大型化と多層化が進みました。昔は1軒に30人、40人という例も稀ではありませんでした。
建物はふつう2~4層、人々の生活はもっぱら1階の囲炉裏のある大広間を中心に営まれ、周囲に仏間や寝間などが配置されていました。囲炉裏はどんな大人数でも一つだけで、家族が顔をそろえる団欒の場、そして接客や近隣の人々との交流の場になっていました。
この地方の暮らしを支えたのは焼畑によるヒエやアワ、ソバなどの収穫のほかに、養蚕、火薬の原料となる塩硝や和紙の製造でした。
合掌造りは住まいとして、また生産の場として合理的かつ効率的に使われました。2階以上は養蚕のための作業場となり、1階土間では和紙、床高の縁の下では塩硝の製造が行われていました。畑からの収穫はせいぜい自家消費分程度でしたので、それだけに屋内労働のウエイトは高く、江戸時代にはこれらの製品は幕府や藩への上納品になっていました。

茅の全面的な葺替えは30~40年に一度

合掌造りの特徴はほぼ正三角形で急勾配の屋根にあります。その角度は45~60度、傾斜を強めることで雪を落としやすくし、夏期には日照量を最少限に抑えることができます。 屋根組みでは釘や鎹(かすがい)などの金物類はいっさい使用せず、2本の材を合掌に組んで頂部を藁縄や「ネソ」と言われる植物の細枝で堅く結び、足もとは下地材に設けられた穴に差し込んで逆V字の基本形を造ります。このような自然材による部材の結束は建物に柔軟性をもたせ、積雪による荷重や風圧を吸収します。
建物が大きく屋根面積がとてつもなく広いだけに、屋根葺きは合掌造りの工程の中で最も多くの人手と時間を要する大掛かりな作業になります。作業は何人もの人間が適当な間隔をおいて屋根全面に散らばり、ひと抱えほどに束ねた茅を順次下から上へ敷き詰め50㎝以上の厚さを保ちながら葺き上げていきます。
茅葺き屋根の維持には囲炉裏の火が欠かせません。煙が昇り茅に煤が付着することで、湿気による腐敗や虫の発生を防止します。そのため屋根裏では、煙が抜けやすいように床面を簀子(すのこ)状に仕上げています。全面的な茅の葺替えは、囲炉裏の使用が少なくなった今日では30~40年に一度は必要とされています。

木造建築の最も発展した重厚な造形美

昭和の初めに白川郷を訪れたドイツ人建築家ブルーノ・タウトは、合掌造りの簡素で無駄なく創意工夫に満ちた合理的、論理的な構造、周囲の自然と調和した造形美を高く評価し、著書『日本美の再発見』で世界に紹介しました。その評価はずっとのちの世界遺産登録の際、強力なアピール材料になりました。 世界遺産登録以前から、地元では保存のための努力が続けられていました。白川郷では合掌造り居住者による「結」と言われる伝統的な互助組織があり、共同で屋根の葺替えなどを行うのが習わしになっていましたが、近代住宅の普及で合掌造りが減少したため組織の維持が困難になっています。今日では改築や改造に際してのルールを設けたり、白川郷では「売らない、貸さない、壊さない」をうたった住民憲章を定めて減少防止に努め、火災防止のための見回り活動なども行っています。
たしかに合掌造り家屋は家族構成の変化や生活様式の近代化を考えれば、現代では機能的とは言えないかもしれません。それでも、日本の木造建築の最高の発展形とされる重厚な造形美、それらが集まって形成される景観はこの地ならではの貴重な遺産に変わりはなく、保存のためのさらなる努力が望まれます。