蘭(あらぎ)島の棚田を初めて目にしたのは、2000年のことだった。
前日まで台風にみまわれた和歌山県。蘭島の川を挟んだ反対岸に立つと、強い風がまだ残っていて、空の雲は忙しく移動していたが、黄色く色づいた田んぼに雲間からの日光が差し込み、扇形に輝いて見えた。(青柳健二)

地元のシンボル的存在。

有田川がこの地で湾曲し、まるで突き出た半島のようになった土地に棚田が拓かれている。だから蘭島と呼ばれている。

1999年、「日本の棚田百選」が選定され、その中に蘭島も入っていた。当時は、有田川町ではなくて、清水町だったが(2006年に合併)、その姿はそれまでも、清水町のシンボル的な存在だった。

清水温泉の「しみず温泉あさぎり」に入ると、玄関にこの棚田の写真パネルがドーンと飾ってあった。また物産館では、地元産の米のラベルにもこの棚田の写真が使われていた。

まだ棚田百選に選定されてまだ間もないころであり、それほど多くの観光客が来るわけでもなかった。

蘭島及び三田・清水の農山村景観として重要文化材に。

その後、私は全国の棚田を撮影することになって、全国にこのような川が湾曲したところに拓かれた棚田が、ここだけではないことを知った。例えば、静岡県小山町の吉ヶ島の棚田や、大分県豊後大野市の小宛の棚田、他にも新潟県柏崎市の門出の棚田など、数は多くはないが、あることはある。私はこれらを「蘭島型棚田」と名付けたが、形の整い方はやはり蘭島が一番だった。

蘭島は、2.3ヘクタールの土地に53枚の田んぼが広がっている。現在でも耕作率は100パーセントで、この形が維持されている。平均勾配は、20分の1(20m行って1m上る傾斜)なので、「棚田」の定義からすると、ぎりぎりの緩い傾斜ではある。

開発が始まったのは江戸時代初期にさかのぼる。大庄屋であった笠松佐太夫によって拓かれた。棚田まで引いてある上湯用水路もほぼ当時の姿で残っている。

1998年には、「美しい日本のむら景観コンテスト」で農林水産大臣賞を受賞、2019年には「日本の棚田百選」、そして2013年には、「蘭島及び三田・清水の農山村景観」として、重要文化的景観に選ばれた。

感動の後に来たものは「安らぎ」。

2013年11月8日~9日、有田川町で「第19回全国棚田(千枚田)サミット」が開催された。2日間とも天気に恵まれ、全国から800人以上の棚田関係者が集まった。

棚田サミットに合わせて、蘭島の棚田を数年ぶりに訪ねた。稲のヒコバエが淡い緑色になっている。りっぱな展望台(遊歩道)、2、3台置ける駐車スペースもできていた。初めてこの棚田を見たときの驚きがよみがえる。その後、棚田の背後にバイパス道路が通って、風景が微妙に変わってきた。蘭島の景観の中に道路(橋)が入ることになったのだ。

私はこの棚田サミットでは基調講演を頼まれて、ネパール・マダガスカル・スリランカ・イラン・中国・フィリピンなど外国の棚田と日本の棚田について、写真を映写しながら報告した。

サミットの終わり、懇親会で話をうかがったある棚田を作っている会の代表は、Iターンで棚田を作り始めた方だったが、「最初は感動・感激がありますが、毎年毎年棚田を作っていると、感動・感激は薄れてきます。でも、それに代わって感じるようになるのは安らぎです」といった。

守るだけではなく棚田の新しい価値を創造。

「棚田を見ると癒される」という都市住民は多いが、それは耕作者が感じる安らぎが、都市住民にも伝わるということだろう。そしてそれが棚田の美しさにもつながっている。

「棚田が美しい」というのは、部外者の言葉かもしれないが、だからこそ部外者の目が必要だとも思う。農村と都会との補完関係といってもいいだろう。

閉会式の前に分科会のまとめがあり、これからは「棚田を守る」というだけでは駄目で、「棚田の新しい価値を創造する」という積極的な活動が必要ではないか、という話に共感できた。

「棚田はなくなる」「高齢化が進んで耕作放棄地が増える」と嘆いてばかりいてもしかたない。むしろ「なくなる」ことで棚田の価値に気がついた10数年前と同じように、今の危機は、ある意味チャンスかもしれないという。

そこで希望の光が見えるのは、全国で、学生ボランティアたちによる棚田での活動が注目され始めていることだろう。

「沼の棚田」で保全活動も行われている。

今回サミットの舞台になった有田川町には、蘭島の他に「沼の棚田」があるが、和歌山大学の学生ボランティア「棚田ふぁむ」メンバーによる「沼の棚田における取り組み」の事例発表も行われた。高齢化する中山間地の沼地区でソバの栽培による棚田保全活動が行われている。

ところで、ここには名物がある。サミットの懇親会でも地元の「わさび寿司」が提供された。わさび寿司は、サバかアユの煮つけを載せた寿司飯を、わさびの葉で巻いたもの。ここでは、わさびが取れたので、それを使って何かできないかと考案されたのがわさび寿司だ。

印象的な形の蘭島の棚田は、このわさび寿司の味とともに思い出す。