白米千枚田は、輪島市内から能登半島を北東へ約8kmの日本海沿いの斜面に拓かれている。側に道の駅・千枚田ポケットパークがあり、展望台にもなっている。季節ごとに違う稲の色と、海の青とが美しいコントラストを見せる典型的な臨海型棚田(千枚田)だ。ここはロケーションが優れているので、CMのロケ地としてもたびたび利用されている。

「能登の里山里海」として世界農業遺産に認定

白米千枚田では、水田に水が引かれるのは毎年4月下旬ころで、5月上旬には田植えが始まる。この時期、朝焼けや夕焼けで赤みを帯びた空や雲を映した棚田は絶景だ。夏には強烈な日差しの中、稲の緑が目に痛いほどだ。秋の収穫期には、たわわに実った黄金色の稲穂が棚田を彩る。そして冬は観光客は少ないが、枯れた水田と荒れた海の寒々しい様子が能登らしい風景を作り出す。

2001年には、国指定文化財名勝に指定され、また2011年6月、白米千枚田は「能登の里山里海」として日本で初めて世界農業遺産に認定された。世界遺産は、遺跡や歴史的建造物や自然などを登録し保護することを目的としているのに対して、世界農業遺産は、土地の持つ総合力(システム)を認定して保全につなげていくことを目的としている。

ところで棚田は、アジアを中心に西はアフリカのウガンダやマダガスカルにもある。しかし数多い棚田の中でも、海に面した臨海型棚田というのは日本独特な棚田と言えるかもしれない。

インドネシア・バリ島などにもあるのではと思って探したことがあった。しかしバリは火山島で、海岸に近づくほどなだらかになり(あるいは突然の崖になり)、水田はあるが棚田の状態にはなっていない。日本以外で唯一海に面した棚田は見たのは、韓国南部の南海島を周ったときだが、世界的に見ても臨海型棚田はそれほど多くはないようだ。

だからこれは、狭い島国で山がちの地形を最大限に生かした、日本独特の景観といっていいだろう。午後の太陽光を長時間受けられる西方向の斜面に拓かれているものが多い。夏場の海風の影響(塩害)を受ける太平洋側ではなく、ほとんどは日本海側にあるからだ。

白米千枚田の歴史は、中世末期にまでさかのぼる。能登が加賀藩領になると、白米は海岸の塩田での塩作りと、新田開発の村として文献に登場する。

水田一面あたりの面積は約18平方メートルと狭い。約4ヘクタールの範囲に1004枚の田が広がっている。一般的には枚数が多いので「千枚田」と呼ばれると言われるが、「狭い田」なので千枚田だという異説もある。

蓑隠れの話

白米千枚田は、このように狭い田がたくさん集まっているところが、景観的な特徴で魅力になっているわけだが、その狭い田を象徴するような民話もここには残っている。

ポケットパークに立っている観光看板から引用する。

むかし、百姓夫婦が田植えを終わって念のため水田の枚数を数えてみた。千枚あるはずなのに、どうしても二枚足りない。日も暮れたのであきらめて帰ろうと、そばにあった二人の蓑をとりあげてみると、その下に二枚の田が隠されてあったという。「蓑の下、耕し残る田二枚」の一句も伝えられている。

また、「越中富山は田どころなれど能登は一枚千枚田」などの古謡も唄い継がれている。

昔ながらの農法が行われていて、日本古来の農法、種籾から苗を育て田植えを行う「苗代田」を復活させた。毎年、高いほうの土手をけずって田んぼへ入れるので、自然客土となり、肥料も一般の田の半分ぐらいでよいとされ、病虫害も少ない。米の味は優れていて、消費者から歓迎されている。

ただ、景観的に優れている白米千枚田だが、保全については、ここも他の棚田と同様、問題を抱えている。それで輪島市では、白米千枚田を観光地として位置づけ、地域ぐるみで保全活動に取り組んでいる。

そのひとつが、白米千枚田オーナー制度だ。これは2007年、白米千枚田の景観を守るためにスタートし、稲作体験を通じて先人の苦労や生産の喜びを感じ、米一粒の大切さを理解してもらうとともに、オーナー会員と地元農家の人たちの交流を大切にする制度だ。

秋の収穫は、ボランティアの手伝いのもと稲刈りが行われ、千枚田を式場にして「棚田結婚式」も行われた。お祭りやイベント的な雰囲気だが、そういった「楽しい」農作業が、観光地としての棚田の保全には大切な要素なのではないだろうか。