土谷棚田(どやたなだ)は松浦市福島の西側に位置し、玄界灘に面した斜面に拓かれている。明治から昭和初期に開墾された約400枚の棚田が雲形定規のように重なって海へと続いている。大飛島・小飛島が添景になった棚田が夕陽に染まる風景はすばらしいもので、多くの観光客が訪れる。
2017年に日本経済新聞紙上で行われたNIKKEIプラス1「コメ作りが生んだ棚田10選 里山の絶景を見に行こう」では、第6位にランク付けされている。(青柳健二)

棚田カフェは棚田と玄界灘を見下ろす高台に

夕日の見える棚田カフェ「ばぁーばのキッチン」は棚田と玄界灘を見下ろす高台にある。刻々と変化する海の様子を見ながら、コーヒーを飲んで、ゆっくりした時間をすごすのはなんと贅沢なことだろう。

「石垣だんご」という昔から食べられていたローカルフードがコーヒーと合っていて、なかなかいい。紫芋と普通のサツマイモが、サイコロ状になって入っていて、それが棚田の石垣に見えるからこの名前がつけられたという。

地元のアマチュアカメラマンは教えてくれた。

「一番いいのは、やっぱり4月下旬。太陽の位置、田んぼの状態がベストコンディションです。早すぎると田んぼに水がないし、5月に入ってからはだんだん水草が生えてきて、水面が汚く映ってしまうんです」

夕日が沈むと一気に観光客が少なくなる。地元のカメラマンたちは、もう太陽が沈む前に帰る人が多かった。太陽が海に沈んでからも、オレンジ色から徐々にブルーに変化していく微妙な空の色が美しかったが、よほど条件がよくないと写真を撮る気がしないのだという。それは贅沢な話だ。やはり最高の風景を目にできるのは、地元の人にはかなわないということだろう。

九州の西の海を向いた棚田は、中国大陸との関係を連想させる

海に面した臨海型棚田については、「棚田を歩く」の第4回、輪島市の白米千枚田でも触れた通り、韓国の南部にも少しだけあるが、日本独特の景観と言っていいだろう。夏場の海風の影響(塩害)を避けるため、臨海型棚田は、日本海側に多い。いずれにしても、狭い土地を有効に活用しようとした先人の努力の結晶であるのは間違いない。

また、九州の西の海を向いた棚田は、中国大陸との関係を連想させる棚田にもなっている。

水田稲作が日本にどうやってもたらされたのかは諸説あるが、戦乱によって中国大陸から押し出されて海を渡った人たちの一部が、九州北部に住みつき、やがて稲作を日本列島に広めていったという説もある。

佐賀県唐津市には日本最古の水稲耕作遺跡の名畑遺跡もある。それ以前から日本でも稲は作られていたが、九州北部は、本格的な水田稲作が比較的早い時期に始まった地域だといわれている。

また鎌倉時代には元寇がやってきた。松浦市鷹島沖の海底で13世紀の元寇の沈没船とみられる船体が発見されたのは2011年10月のことだった。以前から鷹島の海岸では壺・刀剣などが地元の漁師によって水中から引き揚げられていたというから、「何かある」とは思われていたようだ。沈没船は、2度目の元寇(1281年の弘安の役)の時の沈没船と断定され、2012年3月27日、文部科学省は海底遺跡「鷹島神崎遺跡」として国史跡に指定した。現在、鷹島に元寇記念之碑が建てられている。

秋の匂いが漂っているのもまた情緒がある

太陽が沈む方向には中国大陸が広がっている。稲作技術を携えた人々が船に揺られてやってきて、土谷の海岸に上陸した可能性もゼロとはいえないだろう。日本の文化は大陸との関係なしでは考えられない。大陸とのつながりを感じながら見る棚田もまた格別だ。

土谷棚田の春は美しい季節だが、秋には秋の良さがある。稲を刈った後の匂い、藁を焼く匂いなど、秋の匂いが漂っているのもまた情緒があって好きな季節だ。

稲刈りをしている家族がいたので、写真を撮らせてもらった。小学生の男の子が稲刈り作業を手伝っていた。

やがて夕日は海に沈んで、あたりが急に暗くなった。それでもまだ、彼らは仕事をしていたが、軽トラックがやってきて、稲籾を詰めた袋を荷台に全部積み込むと、村の方へと去っていった。

棚田米を食べてみたい

棚田の前に立って、雄大な美しい風景を目の当たりにすれば、太陽の恵みを受けて育ったここの棚田米を食べてみたいと思うのは自然なことだ。しかし「土谷棚田米」というブランド米もあるが、棚田米は全国どこでも生産量が少ないので、数量限定での販売になっているのはしかたないことだろう。機会があればぜひ食べてみたいものだ。

土谷棚田(どやたなだ)

住所:長崎県松浦市福島町土谷免
情報:玄界灘に沈む夕日がたいへん美しく、4月から5月にかけて多くの写真愛好家が訪れます。 また9月には「土谷棚田の火祭り」が開催され観光客でにぎわいます。
問い合わせ:長崎県松浦市「食と観光のまち推進課」0956-72-1111