長く複雑な海岸線から、内陸の山岳地帯まで、高低差も大きく変化に富んだ地形の島国・日本。それぞれの環境に合わせ、さまざまな樹木が組み合わさって、多種多様な森林を形成しています。ここでは植生の違いを中心に分類しつつ、ぜひ訪れていただきたい、魅力あふれる森をご紹介します。

都市近郊に位置しながら守られてきた原始の森

春日大社の背後にそびえる春日山は、古代より神奈備山(かむなびやま=神様が鎮座する山や森のこと)として、1100年以上前から伐採が禁じられてきました。そのため、いまなお照葉樹林の原始性が保たれているのです。

若草山の頂から望む春日山原始林、陽春には樹冠が多彩な緑にあふれる。

照葉樹林とは常緑広葉樹が優占する森のことで、関東以西の山里を覆い尽くしていた森林です。弥生時代に稲作が伝播してきたころから伐採され、水田や雑木林に変えられていきました。これにより広範囲な照葉樹林はほとんどなくなり、いまでは鎮守の森や神域でしか見られない、といっても過言ではありません。
それほどに数を減らした照葉樹林ですが、奈良の春日山原始林は日本を代表する照葉樹林といえます。
春日山原始林の他の照葉樹林は、伊勢神宮神路山、熊野那智山原生林、厳島神社が鎮座する宮島の弥山原生林、四国足摺岬の白皇山、対馬の龍良山などが挙げられます。

モミに絡み付くフジの太い蔓。周囲に茂るアセビの新緑が瑞々しい。

一年中肉厚の葉を茂らせる照葉樹林は林内に日差しが届かず、常に薄暗さが漂っています。あまり心地よいとはいえませんが、逆に落ち着いた重厚感を秘めているともいえます。
それだけに春の新緑期の瑞々しさは感動的です。照葉樹の新緑にイロハモミジやヤマザクラの新緑、さらにはフジが咲いて陽春の森景色を際立たせるのです。
しかし、その季節は瞬く間に過ぎ、葉の緑が濃くなっていつもの薄暗さが森を包んでしまいます。照葉樹林の独特の雰囲気なのですが、その不気味さが人々に森への恐れを呼び、伐採された一因になったのかもしれません。

春日大社の禰宜道を歩くと、イチイガシが茂る薄闇が包む森が迎えてくれる。

春日山の森の散策は若草山まで車で上り、そこから奥山道路と分かれ、月日亭を経て春日大社への遊歩道を下ったら、境内の禰宜道(ねぎみち=神官・禰宜が通る道)を歩くことをすすめます。照葉樹林独特の雰囲気に浸れるはずです。 イチイガシとスダジイの巨木に交じってナギの樹が目立ちます。幅広い葉を持つ針葉樹で、藤原不比等が春日大社を創建した時代に植栽されたのですが、天然更新して自然林に解け込み緑深い森景色を感じさせてくれます。

春日大社の森には、天然更新を続けてきた春日杉と呼ぶ大木がある。

春日山原始林

所在地域:奈良市

問い合わせ:〒630-8114 奈良市芝辻町543 奈良公園事務所 ☎0742・22・0375
http://nara-park.com/spot/mt-kasuga/

アクセス:
JR奈良駅、近鉄奈良駅から奈良交通バス(市内循環外回り)「破石町」下車、徒歩約15分で春日山遊歩道起点へ。「春日大社本殿」下車、徒歩約10分の地点からも春日山遊歩道に入れる。
車の場合/奈良市内より奈良奥山ドライブウェイを利用すると、春日山原始林内の一部を通行できる。

写真・文: 石橋睦美 Mutsumi Ishibashi

1970年代から東北の自然に魅せられて、日本独特の色彩豊かな自然美を表現することをライフワークとする。1980年代後半からブナ林にテーマを絞り、北限から南限まで撮影取材。その後、今ある日本の自然林を記録する目的で全国の森を巡る旅を続けている。主な写真集に『日本の森』(新潮社)、『ブナ林からの贈り物』(世界文化社)、『森林美』『森林日本』(平凡社)など多数。