知床では海と山が隣り合わせ。そのためわずか半日でクジラにもヒグマにも出会えるという幸運も夢ではありません。海と川、そして森へとつながる海陸一体となった生態系に育まれた多様な自然環境が評価され2005年に世界遺産登録されました。

近年まで盛んだった知床火山の活動

北海道の東端、オホーツク海に細長く突き出た知床半島は、860万年ほど前の海底火山の活動により形成されました。

その活動は50万年前には陸上でも始まり、さらに25万年ほど前には羅臼岳(1661m)や硫黄山(1562m)が噴火、両山の活動は近年まで続いています。

半島の幅は付け根にあたる斜里町峰浜~標津町忠類間が最大で約25㎞、そこから突端の知床岬までは徐々に先細りになりながら約70㎞。世界遺産区域は半島中央部の少し南東寄りから先端部にかけての陸域と、周囲の沖合3㎞を含む海域計7万1000haとされています。

近年の知床火山の活動を見ると、江戸末期の旅行記の挿絵に硫黄山が噴煙をたなびかせる様子が描かれ、1880年と1936年の大噴火では純度の高い硫黄を大量に流出させています。溶岩でなく硫黄の噴出は極めて珍しく、採掘のために鉱山が開発されました。羅臼岳では、山頂に見られる溶岩ドームの形成は鎌倉末期の噴火によることが明らかにされています。

一連の火山活動により、オホーツク海側では溶岩流の末端が荒波に浸蝕されて険しい断崖が形成されています。羅臼岳北麓では溶岩台地上に深い森が形成され、地下水脈から湧き出す水をたたえた知床五湖が横たわります。

狭いエリアながら密度濃く多様な自然

1月下旬になると、知床の海は流氷で埋め尽くされます。流氷はオホーツク海の海水が凍って流れ着いたもので、大量の植物プランクトンを運んできます。植物プランクトンは春に氷が溶けて水中に光が届くようになると、一気に増えてオキアミの大発生を促します。

栄養分に富んだ海は動物たちにとっても安住の地で、冬にはトドや各種アザラシがやってきて、ゴマフアザラシなどはここで出産、子育てをします。鳥類ではオオワシやここに営巣するオジロワシのような超大型の猛禽類も見られます。また、根室海峡は海が深いので、初夏にはミンククジラやマッコウクジラ、ツチクジラなどがやってきます。シャチが見られるのもこの時期で、時には船の傍らを大きな群れをつくって並走してくれたりします。

秋にはサケやマスが海の栄養分をたっぷり蓄えて遡上します。真っ先にその恵みに与かるのはヒグマで、遡上期には街中の小河川にまで姿を現すこともあります。道内でもサケを存分に食べられるのはここぐらいですので、知床のヒグマは大きいと言われます。世界最大級のフクロウで、広げた翼は180㎝にもな

るシマフクロウは、大きな樹洞に営巣しますのでこの地のような豊かな森を必要とします。

海岸沿いでも見られる高山植物のお花畑

知床では、いまだ活動が完全に沈静化していない硫黄山周辺と、過去に開拓の手が入ったオホーツク側の一部地域を除くほぼ全域で原生的な植生がよく保たれています。特に海岸沿いから知床峠への道沿いなどでは、高度を上げるにしたがい樹種が入れ替わっていく垂直分布の変化の様子を明瞭にしています。

ここは極寒の地に育つ植物の南限であり、同時に温暖地に育つ植物の北限で、山麓の森は主に針葉樹と落葉広葉樹が混じった針広混交林で構成されています。樹種としては前者ではエゾマツやトドマツ、後者ではミズナラなどが代表種で、このように様々な樹種で構成される森は動物の多様性にも貢献します。

山の稜線上で特徴的なのは、道内では通常1000m以上に生育するハイマツが、ここでは400mあたりから現れることです。これは風の影響をまともに受ける半島ならではの地形と、この地域特有の寒冷な気候によります。

高山植物も低地から姿を見せ、知床岬では海岸近くでも花を咲かせていますが、これも知床ならではの気候が影響しています。羅臼岳中腹ではチシマクモマグサやエゾコザクラなどが広大なお花畑をつくり、硫黄山の砂礫地ではシレトコスミレの群落も見られます。

自然は極めてデリケート、ますます重要な環境問題

知床では平地を介さずに海と山がダイレクトにつながっています。そのためそう広くはない範囲に、様々な生息環境が形成され様々な生き物が生存します。世界遺産登録にあたっては、このような海陸相互の生態系の有機的結び付きが顕著で、希少な動植物の生息地として重要な地域であること、そして保全のための自然科学的、社会科学的見地に基づく管理体制が整っていることが評価されました。

ここでは世界遺産とは関わりなく、はるか以前から環境保全のための取組みが始まっていました。斜里町では1977年からイギリスのナショナル・トラスト運動に着目し、自然の乱開発を阻止するために寄付を募って土地を買い戻す運動を展開、およそ5万人の賛同を得てその協力により知床が守られてきました。

今後は海洋環境や生態系の保全と漁業との問題、ますます増加が見込まれる観光客の受入れ体制など、より現実的な対策が望まれます。特に自然遺産の場合、観光客の増加による弊害が浮上しています。自然は極めてデリケートで、たった一人、たった一度でも人間の存在そのものが環境汚染の始まりになります。人数制限や一部地域の入域禁止など、厳しい規制が必要な場合も出てくるでしょう。