長く複雑な海岸線から、内陸の山岳地帯まで、高低差も大きく変化に富んだ地形の島国・日本。それぞれの環境に合わせ、さまざまな樹木が組み合わさって、多種多様な森林を形成しています。ここでは植生の違いを中心に分類しつつ、ぜひ訪れていただきたい、魅力あふれる森をご紹介します。

言いつくせぬほどに美しい風景

伊豆湯ヶ島から狩野川の支流にあたる大見川を遡り、国士越えというなだらかな峠を越える道がある。途中に隠れ里のような雰囲気を漂わす、筏場という集落がある。天城山中で伐り出した木材を、かつて筏に組んで流した谷間である。現在では、その痕跡は見出せないが、豊富な湧水を利用してわさび田が営まれている。

そんな山村から入った山中深くに、炭焼き窯の跡が残る皮子平と呼ぶ平地がある。「ブナをめぐる」の取材を始めた頃であった。当時、修善寺に知り合いがいて、その方の紹介で林道を通行する許可を得て入ったのだが、皮子平のブナ林は言いつくせぬほどに美しい風景を体感させてくれたのである。もう30年近くも前のことになる。

大古の海底火山が植栽を豊に

天城山は日本列島を形成する基盤となる山嶺ではない。この山並みは太古、太平洋上に噴出した海底火山だ。海上に隆起した幾つもの火山島がフィリピン海プレートに乗って北上し、日本列島に次々衝突した。こうして伊豆半島が形成され、天城山の山並みが生じた。このような経緯が天城山の植生を豊かにしたのである。

南方にあった時代に繁茂したユノミネシダなど、亜熱帯性のシダ類や樹木が残存した。そこに温帯に生える樹木が日本列島に合体後に侵入してきた。現在、森の高木層はブナだが、中低木層はアセビの繁茂が凄まじく、ヤマグルマの奇形樹も目立っている。さらに早春のマメザクラからアブラチャン、初夏を彩るアマギシャクナゲやトウゴクミツバツツジ、そしてヒメシャラへと花木が咲き継ぐ様は、天城山でなければ見られない情景である。

天城山では太平洋側の小雪地帯型ブナ林の様相を呈しており、日本海側の多雪地帯型ブナ林とでは混生する植物が異なる。最も違うのはブナの樹形だ。太い主幹から何本にも枝分かれさせる。このような樹形は小雪地帯型ブナの特徴ではあるのだが、天城山では大木の密集度が格別濃い。

乳白色の空気中を浮遊するかのような錯覚

皮子平のブナ林を最初に訪れたのは、まだ芽吹き前の早春であった。周囲を海に囲まれる伊豆半島は気候が温暖多湿で、年間降水量が3000ミリを越える。その気候を反映するかのように皮子平へ辿り着くと、濃い霧が森に澱んでいた。遠くを見渡すことができず、まるで乳白色の空気中を浮遊するかのような錯覚に陥った。

やがてしばらくすると霧が薄れ、周囲が見通せるようになってきた。その時、この森の異常さに気付いたのである。林床にブナの幼樹が見当たらないのだ。かわりにヒメシャラの若木と幼樹がいっぱい生え出ていた。もしこのまま歳月を重ねヒメシャラが育つならば、将来、落葉広葉樹林の極相林の優占樹とされるブナは消え、ヒメシャラ林に変化してしまのではと思えたのである。

蛇ブナ

皮子平からしばらく登ると戸塚峠に出る。さらに急坂を登りきると小岳の頂きに着く。ここのブナは皮子平のブナとは違い、風が強い稜線上なので細く樹高もさほど高くはない。が、ヒメシャラが混生して美しい森林相を描いている。この森で目指したのは蛇ブナと呼ぶ樹である。天城山へ登る前に情報を得ていたので、どうしても蛇ブナを見たかった。その樹は登山道から少し外れた所にあった。根元から伸び上がった主幹が屈曲して地面に接し、そこから再び樹幹を迫り上げている。まるで大蛇がうねって突走しっているようにも見える樹形をしていた。おそらく生長過程で折れたが生き長らえたのだろう。

以後、蛇ブナを訪れたことはない。ただ、私が天城山の森へ通い続けるきっかけになったブナであることは違いない。それから天城山へは度々訪れているが、30年に満たない間に森の様相は一変した。ブナ林の林床に密集していたスズタケは一斉に消え、露地がむき出しになってブナの倒木が目立ってきた。そして残念なのは、昨年の台風で蛇ブナの主幹が折れてしまった、と聞いた。

写真・文: 石橋睦美 Mutsumi Ishibashi

1970年代から東北の自然に魅せられて、日本独特の色彩豊かな自然美を表現することをライフワークとする。1980年代後半からブナ林にテーマを絞り、北限から南限まで撮影取材。その後、今ある日本の自然林を記録する目的で全国の森を巡る旅を続けている。主な写真集に『日本の森』(新潮社)、『ブナ林からの贈り物』(世界文化社)、『森林美』『森林日本』(平凡社)など多数。