神の使い・眷属(けんぞく)として、日本各地で今もなお崇め奉られる「狼信仰」を辿る。

埼玉県秩父市の中心部から車で20分、城峰山の南麓に位置する秩父市吉田地区(旧吉田町)に椋(むく)神社が鎮座する。ここは「龍勢祭り」でも有名な神社である。 龍勢とは、竹製ロケットのことで、地域ごとにその高さや華やかさを競う祭りだ。もともとは江戸時代に始まったというが、同じような竹製ロケットを飛ばす祭りは、タイ・ラオス・中国南部に住んでいるタイ系民族にもあって、水を司る龍(ナーガ)に見立てたロケットを飛ばすことで、雨が順調に降って(多くても、少なくてもダメ)くれることを願う神事でもある。もしかしたら、龍勢のルーツは、ここにあるのかもいれない。
ちなみに、タイのヤソトン県ヤソトンと旧吉田町はこの竹製ロケット祭りで姉妹都市関係にあり、龍勢祭りには、ヤソトンから招かれた男女がタイの民族衣装で見物していた。
そんな椋神社には毎年4月上旬「オイヌゲエ」という祭りも伝わっていることを知った。「お犬替え」が訛った言葉だそうだ。

秩父にある椋神社。

「お犬を替える? いったいどんな祭りだろう?」と興味がわいた。古い犬を新しい犬と替えるなどと聞くと、犬の譲渡会か何かかと勘違いされるかもしれないが、実は、この「お犬」とは犬のことではなくて、実際は「ニホンオオカミ」のことだった。
西洋では、家畜を食べられるなどの被害が深刻で、オオカミは人間の敵でしかなかった。しかし日本の場合、本州を中心に生息していたニホンオオカミはそれほど大型ではなかったこともあるし、また牧畜が発達しなかったので、オオカミは人間にとって、むしろ田畑を荒らすイノシシやシカなどを追い払ってくれる益獣だった(東北の馬産地は除く)。オオカミ信仰はこの農事の神(四足除)としての信仰から生まれた。
もちろん山に棲むオオカミが恐ろしい動物であったのも事実で、オオカミ被害に遭った記録も残っている。オオカミの、益獣として人を助けてくれる面と神秘性や畏れ、この両面性を持っていた動物は、まさに人々の信仰の対象としてふさわしいものだったのだろう。
しかしオオカミは、神そのものではなく、多くは「眷属(けんぞく)」だという。山の神の使い、眷属となったオオカミを「お犬さま」と呼んで信仰しているのだ。ちなみに「お犬」という呼び名は東北地方に多く、「お犬さま」になると、関東・甲信あたりの範囲になる。
お犬さまのお札は、翌年、新しいお札をお借りする。それが「御眷属拝借」である「オイヌゲエ」なのだ。本物のお犬さま(オオカミ)と同等の霊力をもつものであり、1年経って霊力が弱くなったものと交換してもらうわけである。
椋神社の狛犬の代わりに鎮座する像はオオカミそのものだ。

椋神社以外にも、三峯神社、城峰神社、猪狩神社、宝登山神社など、秩父地方の10社くらいでは、いまでもお犬さまのお札を貸与・授与している。(お札を出すようになったのは三峯神社から始まったもので、そのことについては次回詳しく触れる)
これは全国的に見ても珍しい地域で、秩父地方がオオカミ信仰においては中心地のひとつであることを意味している。
この独特のオオカミ像が配されたお札の絵柄には、素朴な味があって魅了される。白と黒のオオカミ像、黒と黒のオオカミ像が向かい合っている図、あるいは1頭だけが座っている図など様々ある。あばら骨が浮き出た姿は印象的だ。
神川町の城峯神社の例大祭では多くの版木も展示されていた。特に昔からの版木で刷っているものは絵がかすれて年代を感じさせる。美術品としても価値があるのではないだろうか。ただ神社によっては、最近では印刷会社に頼んで印刷しているお札もあるようだが。
「お札は玄関に貼ったり、神棚に祀ったりしますよ。農家ではお札を枝に挟んで田んぼに立てたり、ちぎって畑にまく人もありますねぇ」と、神社で受付をしていた氏子の男性は教えてくれた。

昔は、この椋神社のオイヌゲエに2万人もの人たちが秩父各地からやってきたが、今は少なくなった。親から子へ世代が交代したとき、やめてしまう家もあるそうだ。
その日境内のオオカミ像の前の神楽殿では、神楽の演目が奉納され、街中を神輿も練り歩いた。

オイヌゲエ祭の奉納舞。

椋神社

埼玉県秩父市下吉田7377 電話:0494-77-1293