夕焼けの棚田の撮影を終えて30分ほどたつと、辺りが暗くなり始め、突然カエルの合唱が始まった。一匹が鳴き出すとその他大勢も鳴き出すが、最初の一匹がどういうタイミングで鳴くのか、いつも不思議に思っている。(青柳健二)

イカ釣り漁船の漁火が見える棚田

カエルの鳴き声が聞こえると、海の方には点々と漁火を灯す船が浮かんでいるのも見え始める。ここ東後畑棚田は、とくに5月~6月、このイカ釣り漁船の漁火が見える棚田として有名なのだ。昔から漁火・棚田の組み合わせの写真を撮るために、たくさんのアマチュアカメラマンが訪れていた。私も初めて訪ねたのは、ここが「日本の棚田百選」に選ばれた翌年、2000年5月のことだった。ちなみに「日本の棚田百選」に選ばれているのは、山口県では東後畑だけである。

東後畑棚田は、日本海に迫り出した山口県西北部の、向津具半島の北に位置している。ここは本州最西北端でもあるが、海に面した丘陵地帯が約600haもの一大棚田地帯になっている。その中で、東後畑棚田は、標高110m~210mの北西を向いた斜面に、面積7ha、210枚の棚田で構成される。棚田が拓かれたのは、江戸時代から戦後にかけてだそうだ。

狭い国土を有効利用しようとした先人たちの努力

東後畑の西にある妙見山展望公園の頂上(275m)からは、油谷湾や日本海、そして海に面した棚田が一望できる。遠くから見ると、海岸端から山に向かって階段状に作られた棚田の特徴がよくわかる。平均勾配は1/15。15m進んで1m上るという斜面だから、棚田の中ではそれほど急な勾配の棚田ではない。だから法面も石積みと土坡が併用されている。西日本では、急な斜面の棚田は一般的に石積みが多い。

石川県輪島市の白米千枚田や長崎県松浦市の土谷棚田でも触れたが、海に面した棚田というのは日本独特のものだ。狭い国土を効率良く利用しようとした、先人たちの努力の形である。

現在、東後畑営農組合とNPO法人ゆや棚田景観保存会が活動し、この貴重な棚田の保全や景観の維持に努めている。そのほか、交流イベントや食育活動の場としても棚田が利用されている。

水の確保が最大の課題だった

しかし、あらためて周辺の地形を眺めてみると、ここには川らしいものがなく、水の確保が最大の課題だったことがわかる。棚田の後ろにひかえている山の名が「雨乞山」(347m)という。水の苦労が偲ばれるような山の名である。

そのため、昔からこの地域では溜め池をたくさん作ってきた。ちなみに後畑には、享保13年(1728年)に30ケ所、天保13年(1842年)には、59ケ所の溜め池があったことが記録に残っている。現在は、油谷町全体で2000個の溜め池があり、共同溜池の「深田ため池」などから水を引いている。ちょうどこの「深田ため池」のあたりが棚田を見る絶景ポイントの一か所にもなっていて、100mほど離れたところには駐車場もある。

西のはるかかなたは、中国大陸・朝鮮半島の方向だ。1250年前、唐の玄宗皇帝の寵愛を受けた楊貴妃が、油谷町二尊院附近に船でたどり着いた、という伝説も残るところ。中国風の庭園に楊貴妃像が建つ「楊貴妃の里」もできている。

そんな、大陸との繋がりなどを想像しながら棚田の夕景を眺めるのも、また格別のものがある。 

近くには「日本の最も美しい場所31選」が

実は近年この場所が世界的に有名になった。残念ながら棚田ではなく、海に面した元乃隅稲成神社(2019年1月1日、「元乃隅神社」に改名された)である。2015年にアメリカの放送局CNNが発表した「日本の最も美しい場所31選」に、この神社が選ばれたからだ。123基の真っ赤な鳥居が100mの長さに連なって、まるで龍が海に飛び出していくように見える絶景で、たしかにこれは外国人にウケるだろうと思われる。また「龍宮の潮吹」は、国の天然記念物であり名勝に指定されている。

私は何度も棚田は訪ねていたが、1〜2km先にこういった神社があることさえ知らなかった。棚田以外に興味がなかったといったら大げさだが、実際外国人からの情報でこのようなすばらしい場所があることを知ることになって、日本もまだ広いなぁと実感した。

そのおかげもあってか、棚田に立ち寄る人も多くなったと聞く。「人のふんどしで相撲を取る」ではないが、どんなきっかけであれ、棚田に人々の関心が集まり、訪ねる人が多くなったことは、棚田文化理解にはいいことではないかと思う。ただし最近では多すぎる観光客が問題になりつつあるようだ。棚田は農作業の現場でもあるので、地元の人たちに迷惑をかけないのが最低限のマナーだろう。