秋が深まり、薄の穂が出る頃になると空気が澄んで空は青さと高さを増します。夜空に昇る月も、秋の空では他の季節より輝きを増したように見えます。暑すぎず寒すぎずという秋の気候も手伝って、秋は月見に適した季節です。
今回は、日本の秋には欠かせない年中行事、月見にまつわる話を取り上げます。

月見

月見と言えば旧暦八月十五日の「中秋の名月」の月見が思い浮かびますが、これ以外にも「月見」が行われた日があります。例えば以下のようなものです。

中秋の名月 (八月十五日)

後の月   (九月十三日)

三の月   (十月十日) *( )内の日付はいずれも旧暦によるもの

「後の月」や「三の月」という呼び名は、中秋の名月を最初の月見の月とし、その後の月、三番目の月と考えての呼び名でしょう。また、それぞれの旧暦の日付けから「十五夜の月」「十三夜の月」「十日夜の月」とも呼びます。

月見の歴史は古く、8世紀後半~9世紀頃には既に宮中や貴族の館で、盛んに中秋の観月の宴が催されたことが記録に残っていますから、その歴史は1200年以上ということになります。 貴族等が行った中秋の観月の宴は、中国の中秋節(ちゅうしゅうせつ)という行事にならったものですけれど、月見行事が全て中国の中秋節のまね事かというと、そうでもありません。たとえば、宮中の観月の宴では、女官たちが芋に箸で穴を開け、この穴から月を覗くのが常だったとか。

こんな変わった習わしは中国の中秋節にはありません。また、「後の月」や「三の月」の月見も中国にはありません。 こうしたことから考えると中秋節行事とは別に、日本独自の月見行事が既にあって、それと中国から伝来した中秋節行事が交じり合って、日本の月見の形が出来上がったようです。

中秋節伝来以前の日本独自の月見とは、どのようなものだったのかは想像するしかないのですが、既に書いた「芋に箸で穴をあけ」という、一風変わった習わしに登場する「芋」と「箸」から想像すると、満月の下で秋の収穫を祝うといった収穫祭的な行事だったのではないでしょうか。

現在でも和歌山県の熊野地方などでは、十五夜には箸を十字に縛って先端に芋を刺し、結び目には稲や大豆などの初穂をつけて、これを竹竿の先に結びつけて庭に掲げ、月の出を待つという風習があります。それ以外の地域でも月見には、その年に収穫した作物を供えるという風習が広く行われていることを考えると、日本の月見行事には農耕と強く結びついた、収穫祭的な性格があったことがうかがえます。

月見のお供え物・芋と団子

中秋の名月はまた、「芋名月」とも呼ばれます(再び「芋」登場)。 現在は「イモ」と言えば冴えないものの代名詞のように使われますから、芋名月と言うと「冴えない月」みたいな感じをうけますが、そんな意味はありません。

中秋の名月にはその年に収穫した里芋を供えたことから、この呼び名が生まれました。現在の月見では団子を供えることが多くなりましたが、元々は団子ではなくて芋だったのです。
里芋の栽培の歴史は稲作の歴史より古く、日本で稲作が始まる以前は里芋が主要な栽培植物だったと考えられています。それなら月見のお供えが、元は芋だったというのも納得できます。「今年も沢山の芋をありがとう」と秋の満月の下で、収穫を祝う行事が行われていたのでしょう。
やがて主要な作物が芋から米(稲)に変ると、お供え物も変化し、芋から現在のように米粉で作った団子に変わっていたのではないでしょうか。

そういえば関西地方の月見団子はまん丸ではなく、両端をやや尖らせた形に作ります。こちらの方が月見団子としては古風な形ですが、この形は里芋をかたどったものなのだとか。団子の前身は里芋だったという証でしょう。

一方、現在主流のまん丸の月見団子は満月をかたどったものと言われます(大量生産に向いているからとも。合理的ではありますけれど、ちょっと寂しい)。

たかが月見のお供え物の話ですが、改めて考えてみると、稲作が始まる以前から月見は連綿と行われていたかもしれないと思えてきます。

はっきりした証拠が残っているわけではありませんが、大昔から続く月見の長い伝統の尻尾に自分も連なって月を眺めているんだ、などと考えながら月を眺めてみたら、いつもの月見とは違う何かが見えてくるかもしれませんよ?

月見の日付

明治6年(1873年)の改暦によって、日本の暦の日付は月の満ち欠けとは関わりのないものとなり、それから150年近くが経過しましたが、月見は相変わらず旧暦の日付で行われています。 流石に月の無い夜に十五夜を愛でるというわけにはいきませんから、この行事ばかりは月の満ち欠けに連動した旧暦の日付でないと都合が悪いのです。

ただ、旧暦の日付と新暦の日付の関係はそれほど単純ではないので、毎年「今年の旧暦八月十五日はいつ?」と確かめないといけません。ちょっと面倒ですね。
ちなみに2018年の新暦の日付は、中秋の名月が9月24日、後の月が10月21日、三の月が11月17日となります。

最後に再び月見団子の話

最後はまたしても団子の話。今回は数の話です。 お供えの月見団子の形が関東と関西で違っているという話を書きましたが、その数についても関東と関西では違いがあります。中秋の名月の団子は、関東では15個、関西では12個ないしは13個。

関東風は「十五夜」の15、つまり日付の数。では関西の数は?
こちらはその年の暦月の数を表します。旧暦では1年が12ヶ月の平年と13ヶ月の閏年があります。それで、その年が平年なら団子は12個、閏年なら13個としました。今年2018年は、旧暦では平年なので団子の数は12個となります。13個になる旧暦の直近の閏年は2020年です。

関東風にせよ、関西風にせよ、お月様へのお供えの団子の数と暦との間に関係があるというのは、多くの収穫を得るためには、正しい暦が欠かせないのだといった認識が昔からあったからなのでしょうか?

暦の成り立ちなどに興味を持つ私には気になるところですが、はっきりした理由はわかりません。
なお、関東風は15個、関西風は12個ないしは13個などと書きましたが、数などにこだわらず、たっぷりと山盛りに供えるという大らかな供え方もあります。お月様に収穫を感謝する収穫祭と考えれば、これもまた「正解」なのでしょう。

さてさて、今回は月見、特に月見のお供え物についての話を書いてきました。しかしここに書いたのはあくまでも、月見の形の一例にすぎません。 月見の形は地域によって、家によって違いがあります。細かなことは気にせずに、それぞれの月見をお楽しみください。